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私の人生を変えた「3つの告白」

「ずっと好きでした!」

ある3月の、もう暗くなりかけた頃だった。15歳の私は自転車にまたがっていて、同じように自転車にまたがってこちらを振り返っている彼にそう言っていた。言った、ついに言った……!中学校の卒業式のあと、サイゼリヤでの打ち上げの帰り道。分かれ道の前の交差点が、最後のチャンスだった。

ひょろりと細長い体型も、中性的な顔つきも、グループの中心から少し外れたところでみんなを見ている眼差しも、全部けっこう好きだった。狂おしいほどに惚れていたかと言えば、もう記憶は定かじゃないけれど、今これを書きながらちょっとドキドキしている程度には恋していたらしい。

大きな十字路の交差点で、緑の灯りがチカチカとして、急げば渡ることはできたと思うけど「まあいっか」と私たちは、自転車から片足を地面に置いた。今しかない。

私の告白を受けた彼は驚いている様子もなかったし、かといって「わかっていたぜ」みたいなドキドキした表情でもなかった。何を考えているのかよくわからない。少しの沈黙の末、彼が口を開いた——。


思えば、告白する気なんて本当はなかった。私は卒業後に埼玉から神奈川に引っ越すことが決まっていたし、埼玉の中学生からしてみれば「遠距離恋愛」なんて大人がするものだ。別になにかが起きてほしかったわけじゃないし、そんなん伝えてどうするんだよと自分に突っ込んでいた。でも、前を自転車で走る背中を見ていたら、なんか言いたくなってしまった。

振り返ると、私の人生にはそういうことがたまにある。「とにかく言ってみるだけ……」とか「ダメ元で……」とか。めちゃくちゃ緊張しいでビビりのくせに、ずっと悩んだ末に「もう!なにグズグズしてるんだ!」と自分の横っ面を張り倒すもうひとりの自分が現れる。

そういえば、あのときもそうだったな……と思い出すことが3つある。どれも悩みに悩んで、うじうじ手汗をかいて、でも最後は勝手に飛び出した3つの告白だった。

「一緒に働かせてください!!」

千と千尋の神隠し、ではない。これは世の中の新卒3年目のほとんどが陥る「今のままでいいのだろうか……」という状態でくすぶっていた24歳の私である。

この告白は、電話越しでおこなわれた。当時、結婚式を控えていた私は、ウェディングドレスの試着で出会った女性に一目惚れしていた。一目惚れ、と言っても恋愛的な意味ではなくて、キャリアの面でだ。

その女性——花子さんは私より10歳年上で、自分が情熱を傾ける「エシカルウェディング(環境や人権に配慮したウェディングのこと)」を広げる活動をしていた。国際協力の仕事に憧れていた私にとって、もうそれだけでもまぶしい。さらに、彼女は生まれたばかりの赤ん坊を抱えながら、ドレスの試着に応じてくれたのだ。

あ、私のロールモデル、ここにいた。

子育てをしながら、好きな仕事に打ち込む。結婚を控えたタイミングだったのもあり、私はキャリアの積み方に揺れていた。好きな仕事に就けても、子どもが生まれたら両立なんてできるのか?そもそも子どもはどのタイミングで?っていうか好きな仕事ってなに?

悶々としていた私のハートは、花子さんの笑顔に打ち抜かれた。彼女のもとで働くしかない。一生ついていくしかない。

出会って数日後、電話をかけるために近所の河原に出向いた私の手汗がひどかったことから考えると、たしか初夏だったと思う。挨拶もそこそこに、電話に出た花子さんに「千と千尋」をぶちかましていた。たしか「今の仕事もすぐ辞めます!」とまで口走ったと記憶している。

花子さんは、めちゃくちゃ動揺していた。そりゃそうだと思う。まだ一度しか会ったことない若造が、いきなり「千と千尋」ってきたら、私もビビる。

結局、転職するという形にはならなかったけれど、花子さんがエシカルウェディングをおこなうときのお手伝いをさせてもらうことになった。あれから9年、今でもウェディングの現場で花子さんに会うと胸がときめく。

「採用されていないかと思うのですが!!」

お察しのとおり、またしても「千と千尋」したのである。しかも今回は、インターネットを駆使して、社長のメールアドレスを探し出して凸ったのだ。就活生としてはぎりぎりアウトな気がする。

2社目で野菜販売の仕事をしながらくすぶっていた27歳の私は、ネットサーフィン中にあるPR会社を発見した。その会社はPR会社でありながら、自社でメディアやストアを運営しており、「作り手のことを伝えたい」と思って野菜を売っていた私としてはかなりドンピシャの業務内容であった。

ここで働いてみたい……。

私のなかの千尋が疼き出す。ただ、どこを見ても採用や募集はしていないようだった。人を募集していない以上は、私にできることはなにもない。

……と思っていじけていた私のハートを覆したのが、当時、人材採用の仕事をしていた夫である。「募集しているかはどうでもいいんだ、とにかく社長のメアドを探せ」という彼の指令のもと、私はネトストの闇に落ちていった。社長のメアド……岡山さんのメアドが……ほしい!!!!!

結局、社長のメアドは夫が見つけてくれた。さすがプロ。そこに、一晩かけてメールを打つ。内容としては「募集はしていないかと存じますが、貴社で働きたいのです」という、丁寧な「ここで働かせてくださいっ!!!」の咆哮である。熱意、つたわれェ。

いきなり凸ってきた27歳のメールに、岡山さんはとても丁寧に返信をくれて、面接までしてくれた。面接時に緊張で吐きそうになっている私を見て、「あの大胆なメールは本当にこいつか?」と思ったに違いない。そのくらい、あのメールを打った私にはなにかが憑依していた。

その後、なんともありがたいご縁をいただき、過去最長期間を勤めた会社となった。フリーランスになった今でも大変お世話になっていて、尊敬する社長のメアドを掘り当てた夫を褒めたい気持ちになる。

「突然の長文、失礼しました!!」

今回はメールではなく、メッセンジャーの話だ。メールやWordだとあんなにも短く思えた文章が、Messengerで送った瞬間にとんでもない長文に見えるあの現象は一体なんなのか。いまだに名前がつけられていない。

長文メッセージを送った相手は、私のライターの師匠。そう、私は書くことを生業にしているプロに向かって、構成もなにもない長文を送りつけた。その理由は、ちゃんとある。

師匠である川内イオさんに出会ったのは、あるライティング講座だった。講師として前に立った師匠のプレゼンを聞いて、私の胸はまたしても高鳴った。ライターって、なんかめちゃくちゃ楽しそう!!それは仕事内容というよりも、イオさんの熱いプレゼンに心打たれたと言ったほうが正確かもしれない。

そのなかで「取材したい相手には、熱意を伝える!」という場面があった。断られてしまうこともある取材アポにおいて、大事なのは「あなたの話が聞きたいんです!」という熱意を依頼文に込めることである、と。めちゃくちゃときめいたのを覚えている。その最後にイオさんは言った。

「メールの最後には、必殺『突然の長文、失礼しました!』と付けておくといいです!」

なるほど!!!!!!!!!

私はこの言葉を、師匠からの盛大な“フリ”だと認識した。そういうことなら送りましょうぞ、私の熱意!!!!!!

今、読み返しても、あのメッセージはとても長く感じる。本当はそこまで文字数はないかもしれないけれど、メッセンジャーの見た目のせいでかなり長文に感じてしまう。そして最後にはもちろん「長文失礼しました!!!」と付けた。万事OK!

このメッセージを打つあいだも、私は緊張で震え続けた。いくら「失礼しました」とつけるとはいえ、本当に失礼があってはいけない。なんども読み返したし、念の為に母にも読んでもらった。

私の熱意爆発灼熱のメッセージを、師匠も太陽のようなあたたかさで返してくれた。しかも、なんと「俺が編集長やってるメディアで書いてみる?」と声までかけてくれたのだった。まさかのライターデビューだった。

あとから聞いたところ、30人近くいた参加者のなかで必殺技を使ったのは私だけだったという……

ダメもとで告白する人生であろう

さて、冒頭の話に戻ろう。青春を絵に描いたような15の夜。スーパー「サミット」の目の前の交差点で、私たちは固まっていた。信号は、もう一度赤になった。

彼の返事は、「え、どうする?」だった。「俺も」とか「ごめん」とかじゃなくて、「どうする?」え???

まあ、彼がそう聞いたのもわかる。私たちは埼玉県の郊外に住む、ウブな中学3年生で、周りで「付き合ってる」なんて人は、不良かギャルか、逆にめちゃくちゃおとなしいのに年上と付き合ってる謎の女子とかだった。「付き合う」なんて、私の辞書にはまだなかったのだ。

だから私も「付き合ってください」とは言わなかった。言うだけ言っとけバカ!後悔するぞ!と自分自身で張り手した結果、出てきただけの「好きでした」だったのだから……。今思えば、自己中な告白だ。

結局、どうするもなにもねえ……という感じで、「ありがとう。元気で」と言われて、さよならした。交差点を渡って向かう先が別々だったのがありがたかった。私はバクバクのやまない心臓を携えて、自転車のペダルを踏んだ。なんだかとてもスッキリして、神奈川で新しい生活ができそうだった。

熱意のこもった告白が、すべて実を結ぶわけではない。だからこそ、私の熱意だけの告白を、さまざまな形で受け入れてくれた先輩や師匠や上司に、私は頭が上がらない。足を向けて眠れない。告白したときの手汗や震えまで大事に抱えたまま、自分に張り手をしながら、一生ついていこうと思っている。

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