映画感想「アンダーカレント」

 新所沢で『ミステリと言う勿れ』を観て、そのまま新宿に移動しました。インバウンドで外国からいらした方々が多く見受けられます。今日も、そば屋で困っていた方に「English, OK?」と声を掛けられ、「リトル」とかって答えて、ビールとえび天の購入方法をご指南さしあげておりました。観光立国日本になっております。
 バルト9に入り、これからちょうど上映するものを観ようということで、上映表を見ていたら、「アンダーカレント」という映画がやっていたので、それに決めて観ました。
 あとで、原作は2000年代に描かれたアフタヌーン掲載の漫画だと知りました。原作は読んでいなかったのですが、今回の映画は自分としてはネタバレなしで観られたのが良かったと思われます。いい映画はネタバレすればするほど面白いとも思われますが。
 舞台は現代日本。江戸川区の銭湯、月乃湯(撮影場所は実際は市川市であるそうだ。)での人々の日常に潜む、アンダーカレント(心の底流)を描いた作品です。真木よう子氏演じる主人公は、亡くなった父が残した銭湯を叔母と一緒に切り盛りしています。夫は理由も告げずに失踪、どこかあてどない日々をそれでも自分を元気づけて暮らしている主人公です。たまに夢を見ます。水の中にゆっくりと自分の体が沈んでいき、しばらくすると誰かの手が伸びてきて、首もとにあてられて、そのまま水底を落ちていく。そんな少しばかり不穏な、しかし、常連客の温かさや近所の子ども、飼っている犬に囲まれて、観ている観客も懐かしくなる下町の風景を映画は映します。そこに、井浦新氏の演じる、ホリ(保利?)という青年がボイラー技士として銭湯に勤めたいと訪れるのでした。
 映画は物語が進むにつれて、隠されていた心理がしだいしだいに明るみになっていく仕立てです。途中から私もその心理に胸打たれ感動しました。
 映画の半ば、リリーフランキー氏演じる探偵が、「人をわかるってどういうことか?」と問うシーンがあります。他人の本当の気持ちなどわからない。しかし、われわれは、同時に自分の気持ちにすら気づけていないのかもしれません。
 しかし、どうして、われわれの時代は、このような懐疑的とも言える問いかけをごく日常の日々のなかにまで自然と紛れ込ませるような生活形式を送っているのでしょうか。スパイ活動か何かならわかります。しかし、映画の描く世界はごく日常です。「日本では年間、8万もの人が失踪しているんですよ。」このセリフも印象的でした。日常の生活のなかで、それまで近しかった他者がふっと消える。消えてから、彼は何者だったのだろうかと思いあぐねる。そういう生活形式がわれわれの時代はすぐそこに寄り添っています。
 きっと身軽るになったことが人を消しやすくしたのかもしれません。或いは、人をさみしくさせたのかもしれません。身軽るであることは、一方では便利で快適なことではあります。それだけ技術が爛熟している証左でもあります。しかし、その分、もう一方では、人と人とが離れやすくなった。だから、相手がわからない、その他者の他者性の本質が露呈しやすくなったのかもしれません。
 映画は、個人的には、終盤が尻すぼみだった気がします。セリフが過多になってしまって、たばこ屋のおじさんがあそこまで語らなくっても、映像が語っているのにと惜しまれました。(まあ、しかし、映画館で寝てしまうというハプニングもありますから、そのようなときのためのサービスだったのかもしれません。)また、永山瑛太氏の演じる人物の海辺でのセリフには脚本の練りの甘さがあったように思えました。原作に忠実に作ったためだったのかもしれませんが、映画のテーマである心の底流から逸れてしまっていた気がします。全部にオチなんてつける必要はないと個人的には思います。月乃湯で起こった或る事件が解決して、安堵した主人公が倒れる辺りまでで十分ストーリーは完結していたように思えました。
 とはいえ、静かな雰囲気のなかで観客にも次の日常を生きるための気づきを与えてくれるような、心地よい映画であったことは確かです。

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