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言葉への感受性

編集長から教わったことのひとつが「言葉への感受性」だ。僕が文章を書くうえで最も大切にしていることでもある。良い編集者への条件ともいえるだろうか。

良い文章とは、人それぞれ定義が違うだろうが、

「自分の思考を100%完璧に(可能な限りそのまま)相手に伝えられる/伝わる文章」

だと僕は思っている。
書き手と読み手が言葉を通して、全く同じイメージを描けるのは不可能にちかい。それは経験や考え、感じ方が同じではないからだ。よくSF映画で見られる、脳の共有をしない限りは不可能だろう。

例えば、2人に一枚の絵を見せてそれを文章で説明させる。そうすると、似ている言葉は使うかもしれないが全く同じ文章はおそらくできない。そこには、まずどれだけの言葉を知っているかという差異があり、そしてその絵に対する感じ方も異なるからだ。

その差をできる限り埋められるのが良い文章だと思う。簡単にいえば、正しい言葉を使うことだ。言葉一つひとつにこだわり、誤解や別の意味を含ませない文章を書く。そのために必要な能力こそが言葉への感受性である。
文章を書く人には必須だといってもいい。言葉を扱う仕事なのに、その本人が言葉の意味を十分に理解せず使うなんてあってはならない。

では具体的に言葉への感受性とは何なのか。


それは「言葉一つひとつを疑うこと」だ。


自分の使っている言葉が本当に自分の思考を意図しているのか。
文章の中で正しく言葉を使えているのか。
似ている単語との違いはなにか知っているか。

これらを一つひとつの言葉に投げかける。

つい先日、僕も言葉の感受性がまだまだ足りないと気づかされた。

「けんしん」という言葉を聞くと、どの「けんしん」が思い浮かぶだろうか。

献身、謙信、検針、剣心・・・と色々ある。

僕がこのとき言いたかったのは、病院で年に一度体が健康かどうか調べてもらう「けんしん」だった。
「病院で」となると「健診」「検診」の二つの言葉が考えられる。

では二つの言葉のうち、僕の意図する意味はどちらが当てはまるのか。
「健診」と「検診」の違いは以下の通りだ。

健診・・・健康診断の略語。健診の目的は、健康かどうかを判定することで、病気を未然に防ぐことである。

検診・・・特定の病気を探すための検査をすること。

健診は病気を未然に防ぐためであるのに対し、検診は病気を発見するためである。同じ「けんしん」であるが意味は全く違う。
したがって定期健診と定期検診では意味が変わってくるのだ。この違いに気づけると、より自分の意図を正確に文章に込めることができるようになる。
僕は間違って「検診」を使ってしまっていた。

言葉の違いに気づける、それを理解したうえで使い分けられる人こそが、言葉への感受性が豊かだといえる。他にも、もも色とピンクの違いや、外来語とカタカナ語の違い、放射能と放射線の違いなどあげればきりがない。
しかし、これを一つひとつ丁寧に疑い、明確に使い分けることが物書きを上達する唯一の道のりだ。言葉とコトバ。文章を書くと、いろんな言葉と出会う楽しみがある。

あなたが伝えたいことには、どの言葉が当てはまるだろうか。

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