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学習歴&これまでの人生を振り返る

これまで自分のバックグラウドについてあまり書くことがなかったので、いつ頃から音楽や語学にのめり込むようになったかを綴ることにしました。 
長くなったので今回は生まれてから高校時代までの話がメインになります。
(2400字くらい)

まんちゅうの来歴


0歳 生まれた。大きく元気な男の子だったようだ。
5歳 家に帰った瞬間ゲームボーイに向かって血眼になってダッシュ、レベル上げに必死なゲーム廃人であった。シンプルに将来が不安である。

小学校時代


小5までの記憶が曖昧である。父が師範なので空手をやっていた。祖母に送迎してもらって姉と一緒に車で30分ほどかけて通っていたのだが、月1は行くのが面倒くさいので意図的に偶然の体調不良になっていた。英語は全く勉強する機会がなかった。

が、言葉、特に発音に関しては敏感だったのを覚えている。
8歳のとき、Yeahと「イェー」はどう考えても同じ発音には思えないという発言を母親にした。そして、Yeahという言葉は「イェー」とカタカナで表記されるが、この「イェ」の言い始めの部分を一語で表す表記法はないのかと尋ねた。
「そんなものはない」と言われた。

数年後、国際音声記号(IPA)の存在を知り、この音が硬口蓋接近音/j/であることを知ったときは喉にひっかかった小骨が取れたような快感があった。ちなみに私は焼き魚はサバが一番好きである。

中学時代


部活に所属しないと人生やっていけない的なことを大人に言われて震えあがり、なんだかんだでバレー部に入った。入部当初から実力の片鱗を見せ始め、3年生の頃にはインターハイに出場するなんてことはなく地方大会の2回戦でバレー生活を終えた。自分の身体能力の平凡さに感心したものである。

そういえば、中1の頃に通信教育のセールスの人がやってきて学力テスト的なものを受けたが、英語の問題で名前をローマ字で書かせる問題があり、姓・名の順で書いたら名・姓ではないといけないと減点を喰らいショックで倒れた。(倒れてはいない)

ところで、The Economistなど日本語の名前の表記法を十分理解し、教養層を対象にしたメディアでは名・姓の順にこだわることはないので、未だにあの減点には納得がいっていない。しかし抗議する相手も分からないので結局泣き寝入りである。ちきしょー!

さて、13歳のときにギターを祖母に買ってもらった。ここからバレーより音楽の方が好きだと気づき、一日2,3時間は触れるようになった。勉強はからっきし出来なかったが、ギターがあることの安心感、そこから得られる自尊心は今覚えば自我を保つのに重要だったのかもしれない。この話はまた別の機会にしたい。

 英語に関しては特別なことは何もせず、中1からアルファベットを習い始めた。中3の頃、原形、過去形、過去分詞形がリストになった表を暗記するテストがあった。過去形、過去分詞形を空欄に入れるワークシート形式だったのだが、華麗なる丸暗記で乗り切ることができ、過去分詞がなにかはなんだかよく分からなかったが、とにかく自分は英語ができるものだと思い込んでいた。加えて中1のときに受けた英検5級に特別勉強せずに受かっていたため、私の肥大化した自尊心は全宇宙を飲み込むほどであった。こういう人間を野放しにしてはいけない。

高校時代


 高校入試は国語、英語、社会はそこそこ取れたものの数学と理科がしょぼすぎたため、県内トップ校には挑戦するまでもなく、無難に姉と同じ高校に通うことになった。ちなみに姉は私と幼稚園から大学まで学歴が同じである。田舎あるあるかもしれない。

学校の英語はパウワウリーディングというテキストを使っていた。内容は一切覚えていない。なぜならば勉強をまじめにしていなかったからである!
高校3年になるまで、中学時代に弾き語りユニットを組んだ同級生の家に入り浸ってギターを弾いていたので勉強は宿題を除いてしていなかった。無論、進学校ではなかったので学校の勉強だけで成績優秀になれることもなく、偏差値は50前後をうろちょろしていた。
しかし、当時の私は身長、体重、偏差値が平均的であることに謎の誇りを感じており、なんだか勉強が出来なくても無敵な感じがしていた。お味噌汁は永遠のベストセラー、おせんべいはサラダ味、困ったらヨーグルトはプレーンみたいな考え方に近い。よい子の皆さんはちゃんと勉強した方が絶対にいい。

文法の参考書は数研出版のUPGRADEを使っていたが、県内トップ校は桐原書店のNextStageを使っていると聞きなんだか自分のやっている参考書ではあんまり成績が伸びないのではないかという歪んだ発想をしていた。
後になって分かることだが、UPGRADEは解説も問題の網羅性も極めて優れているので英語が苦手な高校生から大人、また体系的に文法知識を整理したい上級者にもおススメである。

大学受験

受験に関しては自分から情報を集めればよかったのだが、周りに有名大学に進学する人もおらず、県外の一般入試を受験する選択肢すら考えていなかった。結果、志望動機が「家からチャリで10分だから」というどうしようもない理由で推薦入試で入学することになる。

この推薦入試を受けるきっかけも特殊だった。3年生の8月に偶然応募したクリスマスオリジナルソングコンテストという大会で大賞を受賞し、CD作成のためにレコーディングを行うことになった。そして、市民館大ホールで行われるクリスマスファッションショーで、生演奏をする機会を得たのだった。このイベントの企画をしていたのが、私の母校の研究室だったのである。

したがって私は、真夏にクリスマスの曲を書いて大学に入ったことになる。

ちなみに高3のとき英検2級に落ちていることから分かる通り、この時点で語学は全く出来ないアコースティックギター小僧であった。語学にハマったきっかけの話は、また次回にさせていただくことにしよう。

(続く)
お読みいただきありがとうございました。

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