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37 そうめんは水を食べるもの

 あれは9年ほど前だったか。酒飲み友だち数人で京都まで旅行をしたことがある。メインの目的は大阪・甲子園球場で夏の高校野球を見ながら酒を飲むことだったが、それは今回の話とは関係ない。これから書こうとするのは、京都でのある穏やかな昼に、ぼくらが琴ヶ瀬茶屋を訪ねたときのことだ。

 琴ヶ瀬茶屋というのは、京都・保津川(桂川)のほとりにある茶店のことだ。創業は大正8年というから、老舗の定義にはうるさい京都でも、まあそこそこの老舗だと言っていいだろう。
 正確な場所は渡月橋から少し西へ行ったあたり。本来は竿で操船する小舟での売店営業で、川下りをする船にぴたりと横付けしてイカ焼き、おでん、団子、ジュース、ビールといったものを売っていた。つまり船上コンビニである。
 その本部というのか、南側の河岸にも実店舗が設えてあって、そこでお酒やつまみを飲み食いすることもできる。北側の河岸から手漕ぎボートで渡ってもいいし、渡月橋を通って南の河岸を歩いて店に行くこともできる。この場所が、なんともいえず風流でいいのだ。
 地元の人には昔から有名なスポットだったのだろうと思うが、ぼくのような関東人は、最初にこの店のことを知ったときはたいそう驚いた。これぞ、まさしく「天国酒場」じゃないかと。
 飲み仲間の間では、いつか行かねばならない場所と意見が一致していたが、ようやくこのときに叶えることができた。

 とにかくロケーションがすべてのような場所であり、店で出している肴も酒も、特別変わったものがあるわけではない。先にも書いたように、イカ焼きとか、おでんとか、焼きそばとか、見慣れたようなものばかりだ。それでも、ぼくらは憧れの琴ヶ瀬茶屋に来ることができて、とても楽しくつまみを食い、酒を飲んだ。
 そんなこんなの様子をツイッターで実況していたら、地元に在住のミュージシャンである福間創さんが、「おそうめん、コスパ高いですので、よろしければぜひ」とアドバイスをくれた。
 そうめん? それは気づかなかった。酒飲みはどうしても味の濃いもの、塩気の強いものを好む傾向がある。だから、酒のつまみにそうめんという選択肢はなかなか出てこない。でも、流れる水音を聞きながら河原の茶屋でそうめんを食べる。こんな乙なものは他にないのではないか。これはいいアドバイスをもらった!
 さっそく、ぼくらはそうめんを注文する。そして、これが大当たりだったのだ。
 とにかく美味い。茶店の岩肌に湧き水が流れてくる水道があって、その水で冷やしているのだが、この水質の良さが決め手となっているようだ。店の人曰く、「そうめんは水を食べる料理」だそうで、なるほど言い得て妙だ。
 そうめんは水を食べるもの、そうめんは水を食べるもの。このフレーズは強くぼくの心に刻まれた。それどころか、他の食べ物や飲み物にも応用できるのではないかと、思考を巡らせた。

 たとえば「ビールは泡を飲むもの」なんてのはどうだろう。泡のないビールなんて美味しさのかけらもない。
 あるいは「納豆は空気を食べるもの」とか。撹拌して空気を混ぜ込めば混ぜ込むほど、納豆は美味しさが増す。
 規制によっていまでは食べられなくなったレバ刺しだけど、これには「レバ刺しはゴマ油を食べるもの」というキャッチフレーズを与えたい。生レバーが食べられなくたって、こんにゃく刺しをゴマ油につければ、ぼくは同じ感動を味わえる。
 内田百閒は「蓮根は穴のところが美味い」と言ったそうだが、その例に倣って言うなら「ドーナツは穴を食べるもの」という考え方も成り立つだろう。
 福間さんは2年前の元日に急逝してしまった。一度くらい琴ヶ瀬茶屋をご一緒したかったな。

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