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25 密漁オヤジのあさりバター

「ゆりかごから酒場まで」の第3回「3×5メートルの天国酒場」に、うちの親父が木更津での磯釣りを趣味にしていた話を書いた。
 それから数年後、釣りに飽きた親父は、今度は潮干狩りに夢中になった。

 夜中にクルマで家を出発し、昼前になると帰ってくる。車庫に停めたクルマのトランクからでかいクーラーボックスを引っ張り出すと、その中には大粒のあさりが、ぎっしりと詰め込まれていた。
 その頃のぼくはもう高校生。反抗期というわけではないが、親父とは仲が悪くなっていたので、潮干狩りにはついていかなかった。だから、親父がどこの海へ行ってきたのかは知らない。おそらく木更津の袖ヶ浦か、船橋の三番瀬か、あるいは舞浜か(当時はまだ東京ディズニーランドは開業していなかった)。
 いずれにせよ、夜明け前から朝日がのぼるまで、親父はひたすらあさりを掘り続けてきたのだ。

 獲ってきたあさりは、何をおいてもあさり汁にする。大粒で、いい出汁が出て美味い。夕飯にはあさりのバター炒めだ。砂抜きしたあさりをフライパンにザラザラと入れ、酒を振りかけて乱暴に炒める。塩はほんの少しだけでいい。最後にバターをぶち込んで、それが溶けたら完成だ。
 家族は大喜び。ぼくも美味い美味いとあさりを貪り食った。とはいえ量が多いので、食べても食べてもなくならない。貝類は足が早い。クーラーボックスに満タンのあさりなど、家族4人で消費し切れるものではない。だから余ったあさりはご近所中に配り、周辺の皆さんからも非常に喜ばれた……。

 ……が、いま当時を振り返って思う。親父は正当な手続きを経て、規定の料金を払って潮干狩りをしていたのだろうか? と。

 いくら働き盛りの男とはいえ、たった一人であれだけの量のあさりを獲ってくるのは、そう簡単なことではない。あの当時、もし仮に東京湾に天然のあさりが溢れるほど生息していたとしても、有料の潮干狩り場でそんなに獲れるものではないだろう。
 親父、本当は入っちゃいけないところに入って、暗闇に乗じて密漁してたんじゃないのかなあ。
 当の親父はこの世にいないし、50年近くも昔のことだからすべては闇の中である。あとにはただ、ぼくが浅利を大好物になるという事実だけが残った。

 家で大量のあさりを消費していたとき、捨てそこなった貝殻は砂利代わりになるかと庭にまいたりしていた。潮を洗い損ねた殻が混じっていたのか、塩分が花壇の花を枯らしたことで母が激怒し、貝殻もろとも庭の土を全とっかえした。
 おかげで庭の草花は復活しているが、いまでもときどき庭の隅からあさりの貝殻が出てくることがある。それを見るたびに、得意げにしていた親父の顔を思い出すのだ。

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