見出し画像

13 妖怪ふりかけ婆ァ

 ごはんのお供といえば「ふりかけ」であるが、あなたはふりかけを使い切ったことはあるだろうか? 残念ながらぼくは「ない」のである。

 昭和生まれの子供にとって、ふりかけといえば丸美屋の「のりたま」が真っ先に頭に浮かぶ。炊きたてのごはんを茶碗によそい、パラパラとふりかける。おかずがなくても、ふりかけさえあれば茶碗一杯のごはんくらいなら余裕で食える。貧乏人の強い味方。それがふりかけの能力だ。
 のりたまを構成する要素は、海苔、ゴマ、塩、おかか、それとあの黄色い顆粒のようなもの……あれが玉子なのだろう。たぶん砂糖系の何かも入っていて、ちょっと甘いのが特徴でもある。トータルで「何味か?」と問われても総合的な「ふりかけの味」としか答えようがないが、唯一無二の味とも言える。

 ふりかけと聞いて昭和世代が思い出すものはもうひとつある。3色ふりかけだ。
 内部が三等分された容器に、のりたま、たらこ、ごま塩の3種のふりかけが入っている。回転する蓋の穴を、目当てのフレーバーへ合わせるというギミック。この商品は丸美屋のなかでもロングセラーとなっていて、いまでも買うことができる。少しだけ容器の形状は変わったけれど、昭和世代にはやはりあの円錐台の容器が懐かしい。
 懐かしネタでよく取り沙汰されるのが、この3色ふりかけの「ごま塩だけ残る問題」だろう。
 子供たちにのりたまが人気なのはわかる。たらこふりかけもまあわかる。でもごま塩ってどうなの? お赤飯を食うときくらいしか使わないんだから、卓上に常備しておく必要ある? というのが、この問題の根拠なわけだが、ぼくはこれがどうもピンとこない。
 残るのはたらこじゃないの?
 我が家では、のりたま→ごま塩→たらこの順に減っていって、たらこは最後までなくならない。親はそもそもふりかけをあんまり使わないし、子供のぼくもたらこふりかけはあんまり好きじゃなかった。別にうちはそんなにしょっちゅうお赤飯が出る家ではなかったけど、普通の白米でもごま塩はよくかけて食べてたから、ごま塩はけっこうなスピードなくなるのだ。実はいま現在も、我が家の食卓にはごま塩が常備されていたりする。
 で、たらこをごはんのお供にするなら生のたらこか焼きたらこであって、3つめのフレーバーがたらこ味のふりかけだったというのは、子供心にも虚を突かれた気がした。「そこはすき焼きふりかけにしてくれよ!」

 いま、我が家の台所は基本的にぼくが預かっている。昼食だけは母に任せることが多いが、朝晩の食事の支度と、娘の弁当はぼくが作っている。
 自分で包丁を握ってみると、コスト意識とまでは言わないが、なんとなく食材を大切にしようという気持ちが芽生えてくる。味噌汁や鍋物を作ったときに出る煮干しや昆布の出汁ガラ、焼き魚を食べた後の皮や骨を捨てるときに、ほんの少しだけど「もったいないな……」という感情が湧くのだ。
 そこで、これらをうまく再利用できないかと考える。真っ先に思いつくのが「ふりかけ」だ。
 とっておいた煮干しや魚の皮を、天日で干して乾燥させ、すりこぎで細かく砕いたりしてパラパラにする。そこにごま塩とか昆布茶なんかを足せばふりかけの出来上がりだ。

 ふりかけの自作は沼である。やり始めるとキリがない。しらすとか買ってきても、普通に食べればいいのに「これもふりかけに使えるのでは……」と、半分ほど分けておいてフライパンで乾煎りしてふりかけに混ぜたりする。しまいには、ふりかけに使えそうな食材をわざわざ買いに行ったりする。本末転倒である。
 そんなあなたには、妖怪ふりかけ婆ァが取り憑いているのだ。ふりかけ婆ァは性別を問わない。たとえ男であっても、包丁を握っていると気がつけば妖怪ふりかけ婆ァになっている。
 白飯を前に、おかずがなくて途方に暮れている子供がいると、ふりかけ婆ァがやってくる。いつ作ったのかわからないふりかけを懐から取り出し、ぱらぱらぱら……とふりかけてくれる。ホレ、たんと食え。

 市販のふりかけは、厳密な衛生管理の下に製造されているし、ちゃんと防腐剤も入っているから消費期限も長い。でも、素人が家の台所で作ったふりかけがそんなに長期保存できるわけがない。調子こいて作った大量のふりかけは、気が付けばすぐにカビが生えてしまう。
 結局、ぼくはやっぱりふりかけを使い切ることが出来ないのだった。

気が向いたらサポートをお願いします。あなたのサポートで酎ハイがうまい。