見出し画像

月と六文銭・第六章(4)

 アストン・マーティンの試乗の後、武田と板垣いたがき陽子ようこは地下鉄で銀座を目指して移動をしていた…

~博品館~


 銀座に車で来る人の気が知れないというのが武田の口癖だった。渋滞と駐車場不足、歩行者天国。どれもアンチ車的要素だった。

「何か不思議です、哲也さんと地下鉄に乗るなんて」
「そうですか?普段は地下鉄ですよ。少し混むのが嫌ですが、都心なら効率がいいし」
「長い階段やエスカレーターがなかったら、もっといいのにね」

 新しい地下鉄路線ほど深いところを走らざるを得ないのは仕方ないとして、たった数年で完成する東京の地下鉄は、武田の中では興味深い存在だった。

 戦争中に掘ったトンネルを利用しているとの、これまた都市伝説なのか、軍事機密なのか分からない尾ひれがついて、まことしやかに語られていた。

 一般に知られていないのは、戦前の東京市整備令に従って中央官庁の諸ビルが建て替えられた時に、地下をトンネルでつないだことだった。旧大蔵省、旧文部省、旧内務省、旧兵部省、外務省などの重要な諸官庁が対象だった。

 既に航空機が兵器として実用の域に達していたが、将来は大型化して爆撃に使うことが可能となり、"木と紙"から"石と煉瓦"に重要な建物を換えていたものの、ある程度の被害を覚悟しないといけなかった。

 その為の地下通路網整備だった。今も使っていないトンネルが数十キロ分あって、5年後には新しい地下鉄路線が開通するかもしれなかった。


 武田はそういう本が好きだった。秘密結社だの、特殊部隊だの、そうした類の本が大好きだった。テレビ番組もよく見た。出ている人たちの名前も結構憶えていたが、ファンになって講演を聞きに行くことはなかった。

 教団教祖事件以来、宗教関係の仕事は受けたことはなく、ターゲットは似たようなものだったが、インフラや設備、機械類が多かった。電車、半導体工場の電源設備、日本車メーカーの試作車、火力発電所の送電設備など。

 政治家や独裁者、ギャングのリーダーなど後で自分が狙われる相手をターゲットにしたことはない。

 三次元的想像力と的を中てる弾道を計算する力、タイミングが良くなるまで待つ忍耐力を武器に、武田は“難しい”仕事を引き受けた。現在のところ失敗したことはなく、警察などにマークされたこともない。

 発注側のリストにはスーパー・スナイパーB級とC級を初め、10名ほどがA級として記載されている。そして、武田は地域限定のB級スナイパーとしてリストアップされていた。

 武田は政治的狙撃はしない主義だった。独裁者を射殺して革命の火ぶたを切るとか、大統領を暗殺してある国の軍事行動をやめさせるとかをするつもりはなかった。スパイにはスパイの、軍には軍の、国には国の都合があった。武田はどれかを動かそうなどとは考えたことがなかった。


 武田は銀座の新しい商業施設「シックス」で陽子に夏用のドレスとサンダルをプレゼントした。「マリアージュ」ではファーストフラッシュとフルーツタルトを味わい、新橋の方向に散策を続けた。

「おもちゃ屋さんに行ってみませんか?」
 武田に言われ、陽子は一瞬つまった。今更驚くようなおもちゃに出会うこともないだろうといえるほど、パパにはいろいろ試されていたのは事実だったが、武田に言われたのはちょっとショックだった。

「八丁目に博品館はくひんかんというのがあって、大人が行っても、意外と楽しいのです。ミニカーとかもいろいろあります」
「は、はくひんかん?」
「はい、知りませんか?」
「初めて聞きました。大きいのですか?」
「一応、ビル全部がおもちゃ屋さんになっていますが、最上階は博品館劇場といって、結構有名な人が出ているみたいです」

 今日はここまで性に関する話が一つもなく、陽子も純粋にデートを楽しんでいた。

 しかし、最後はやっぱり自分は性的関心の対象なのだと一瞬がっかりしたのだが、武田にはそういう意図は全くなかったようだった。


 七丁目の時計のブランドがたくさん集まっているビルに立ち寄った後、八丁目の博品館に到着した。そして、全部のフロアを見て回り、お揃いで小さなカエルのチャームを買って、博品館を後にした。陽子はカエルを見てはニコニコした。

「帰りは送っても大丈夫かな?曽我部そがべさんが来る時間にぶつからないといいのですが」
「今日は全部、哲也さんのために空けてあります。パパもオジサマも来ないし、会う予定もないです」
「それでしたら、帝国タワーの鉄板焼きで軽く夕食はどうでしょうか?」
「嬉しいです。
 で、アタシからいうのはハシタナイと思うんですが、せっかくなので、買ってもらったドレスを見てほしいと思っています。
 お食事の後にお部屋に行くのは、どうですか?」

 武田は陽子が見たことのない携帯電話を取り出して、架け始めた。タワー最上階の鉄板焼きの『嘉門かもん』とお部屋の予約はあっという間にできた。歩いていくのだろうと思っていたら、交差点の向こう側にメルセデスのディーラーが見えた。

「ちょうど整備が終わったので、車でもいいですか?」
「こういう展開を狙っていたんですか?」と陽子は笑いながら聞き返した。
「ちょうどメンテナンスが終わったところです。間に合わなければタクシーで移動しようかと思っていました」
 武田は歩行者信号の変わった横断歩道を渡り始めた。
「ぜひ、お願いします」と陽子は笑い、ちょっとスキップする感じで、後を追った。

サポート、お願いします。いただきましたサポートは取材のために使用します。記事に反映していきますので、ぜひ!