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月と六文銭・第二十章(02)

 韓国大統領の訪日警備は悪夢と言わざるを得なかった。
 日韓関係が戦後最悪で、国際会議場では首脳同士はそっぽを向いて会話もしない状況だった。
 しかし、水面下で情報コミュニティ同士は協力し、要人警護に神経をすり減らしていた。
 内閣府内閣情報室直下に位置する対テロ特別機動部隊、別名「鈴木班」は、韓国大統領への狙撃対策を練っていたが、南北のスナイパーが入り乱れる展開も考えられたため、慎重に検討を重ねていた。

曲率捷径きょくりつしょうけい

02
 千葉の港で陸揚げされる物品を千葉市内、日暮里、大久保へと運んでいるブサン運輸にドライバーとして潜入していた宮城穣みやぎ・じょうは、体重を落とし、日に焼け、アグレッシブな顔つきに自分を変えていた。毎日精力的に注文をこなし、荷物を届け、少しずつ取引先と親しくなった。
 荷物の大半は韓国総菜、人気の辛いインスタント麺、韓国語に吹き替えられた洋画のDVDなどいかにも外国に住んでいる同胞たちのために故郷のものを輸入・配達している感じだった。

 高田準一たかだ・じゅんいちは説明を続けた。

「江東区の部品製造業・江東精密こうとうせいみつと新宿区の印刷業・大久保おおくぼプリンティングが最近、新規の設備を入れています。
 江東精密は携帯電話の部品を作るプレス用の金型および部品そのものを作っていますが、3年に1回、工場の3分の1程度の面積を入れ替えるような設備投資を行っています。
 もちろん試作品作成ではなくて、製品製造なので、ペイしているみたいです。
 大久保の方は多色刷りのプリンタを入れていますが、専ら地元商店街の広告、まぁ、スーパーのチラシみたいなものがメインで、まぁまぁ受注はあるようです。
 どちらも古い機械の方は近隣の工場に売却していて、“新潟経由”やシンガポールへの輸出はないです」

 “新潟経由”というのは、以前鈴木たちが解明した“北”が米国製高性能機関銃や狙撃銃を入手していた新潟の自動車輸出を隠れ蓑にした密輸ルートのことだった。
 シンガポールと言うのは、高性能な機械類を屑鉄として解体してシンガポール経由で“北”に送るルートのことだった。後の偽ドル札「スーパーK」の誕生に結び付いたとされるのがこのシンガポール・ルートだった。
 銀行券を印刷できるほどの性能の印刷機ならば、製造・販売の段階から細かくチェックされてきたが、複数の廃棄物から一台を再構成することまでは考えられていなかったのが盲点だった。
 印刷機を十数ブロックに分けて考え、A社の廃棄物からはAブロック、B社の廃棄物からはBブロックという風にして、廃棄される印刷機から若干のパーツが抜け落ちていても気づかれないようにしていた。しかも、この分割は一国だけではなく、日本、韓国、台湾、インドネシア、オーストラリアなど複数国に跨っていたことから、ほぼ捕捉不可能だった。日本では高田と江口が神戸税関の輸出品目記録簿を丹念に分析した結果、解明の糸口を見つけ、国際物品移動監視システム「ブルー・アイズ」へ情報を提供し、各国の対テロ情報機関との共同捜査で全容が解明された。
 このブルー・アイズは米欧を中心に東欧、アフリカ、東アジアでの物品の移動を監視するシステムで、人物の移動を監視しているのが「ファイヴ・アイズ」と呼ばれるシステムだった。今はシステムを拡大して、より多くの情報機関が参加する「ナイン・アイズ」構築が大きな流れになっていた。

「もう一度考えよう。
 どこで、誰が、何を使って狙撃する?
 "どこで"は3つに限られる。
 内閣府の記者会見、迎賓館での晩餐会、安政大学での講演。
 "誰が"は外部の者と考えて間違いない。入国した韓国・朝鮮系を過去5年まで遡ってリストアップだ。
 "何を"については、手製の狙撃銃は否定できないが、中国かロシア製を中心に、銃の一部あるいは部品でも持ち込まれていないか、水際で防ぐしかない。
 NISは警備のため自国のスナイパーを入国させると言っている。
 何故かCIAも協力すると言ってきていて、パク大統領用に対テロ車両を持ち込んで貸与するらしい。
 都内の移動中は警視庁が警備を担当する。
 やはり、大学でのスピーチが“どこで”だろうな」

 鈴木がそうまとめると、高田は北のスナイパーが狙えそうな地点を地図に表示した。

「これらの地点を警視庁に示し、SATも確認しました。
 当日は閉鎖され、立入禁止にすると共に重点チェック対象として、スピーチ開始30分前からSAT隊員が占拠します」
「NISのスナイパーはどうするんだ?」

 鈴木が聞いた。

「これらの狙撃地点を狙える場所にスタンバイするものと考えました」

 高田はマウスをクリックし、プロジェクターが示していた地図に幾つもの赤い線が表示されたが、最終的には2か所に収れんした。
 それを見た鈴木は顔をしかめた。

「NISは二人連れてくるのか?
 レンジャーか?」
「ムジゲが投入されると思われます。
 ムジゲは超一流のスナイパーの2人組らしいのですが、今回はこの北と南の2地点に。
 最小で、2人、最大で2チームとバックアップが1チームで6名か」

 高田がマウスを動かして、2か所でマウスポインタがグルグル円を描いた。

「我が国で外国人同士の殺し合いを許すことになるのか?
 主権国家として、問題だぞ。
 CIAが黙認しているのも気になる。
 提供するのは防弾車両だけか?
 勇作、探ってくれ」
「はい、大使館と横須賀の両方に当たってみます」

 大学生として"楽しく"過ごしていた千堂綾乃せんどう・あやのはイ・ソンホンという中流より少し裕福な学生と話していた。ありがちだが、親元を離れて、学生生活をエンジョイしていた。昼間は大学で一応授業に出席し、夕方からはコンパやサークルに参加し、いつも仲の良い男女4、5人と連れ立って渋谷や代官山、新宿や大久保で遊んでいた。千堂がそれについて行くこともあった。
 イはいつも最後はチェ・ミンハという同じく韓国からの留学生と帰るので、仲間内ではあまり気にせず、女性同士で争いは起こらなかった。千堂は何度か尾行したが、おかしなことに帰り道になると二人は特別仲が良い様子もなく、同棲しているアパートに戻っていった。
 そして、戻って30分もしないうちに灯りが消える。毎回そうなのだ。同棲しているなら、やっと二人きりになれたのだから、もう少し起きているとか、灯りを消すこともあるだろうけどセックスくらいはするだろうと思っていたのに…。
 千堂は次の夜もイのアパートに来て、二人の帰宅を待った。相変わらず他人行儀だった。

<上司と部下?仮面夫婦ならぬ仮面カップル?まさか!>

 千堂はポケットドローンを取り出し、2階のイの部屋のベランダまで飛ばした。エアコンの室外機に着地させ、マイクをオンにした。ミンハがシャワーを浴びていて、イが電話で誰かと話していた。水の音ではっきりしないが、何かが順調に届いていると聞こえた。ミンハがシャワーから出てきて、当然だが、韓国語で話し始めた。

「ソンホンシー、今晩はどうしますか?
 私は体調が良いです」
「今晩はやめておこう」
「いいのですか?
 もう10日ほどしていません。
 遠慮しなくていいのですよ。
 これは私の任務の一部です。
 貴兄が最高度に機能するようストレスを取り除くのが私の役目です」
「君は姉の代わりに来ているのを、私は知っている。
 連絡は済んだ。
 もう休もう」

 イがそう言うと、またしても灯りはすぐに消えた。
 千堂はイヤホンを外しながら、このカップルの違和感の原因を理解した。イが他の女性を自室に連れてきて、知られては困るものを見られたり、ミンハとの関係を誤解されて面倒なことになったりするよりも、初めから同棲している仲だという方が都合が良かった。よっぽど積極的な女の子でなければ、割って入らないだろう。
 ただ、ミンハが言うように、イが10日以上我慢しているなら駆け引きには反応する可能性があった。いつも二人でいるところにどう割り込むかは課題ではあったが。
 何度か話すうち、イの兵役時代の話を聞きだすことが出来た。本部を通じて照会したところ、イは本当に兵役に行っていたし、父母ともサムソン系の企業に勤めている、れっきとした大韓民国の国民だったことが判明した。

「北の工作員ではなかったのか?
 どういうことだ?」

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