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月と六文銭・第十六章(24)

 武田は青山のディーラーで元モデルの女性と一緒にSUVを試乗したのだが、またしてもしっくりこなかった。英国車とドイツ製エンジンの相性が悪いのだろうか。
 元モデルから個人情報が載った名刺をもらったのは嬉しかったが、それは今日の本題ではないのだ。
 今日の本題は留学生・劉少藩リウションファン=リュウとのデートだ。良い天候の中、六本木へと向かった。

~充満激情~

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 結局、今回も自動車購入のきっかけにはならなかった。やはり初めて英国車がスーパーカーの仲間入りを果たしたV8ヴァンテージがいいのだろうか。コンソーシアムに買収される前の純粋なアストンの最後の世代の一台で、テイモシー・ダルトンが007を演じた時に登場したボンドカーでもあった。
 007を演じた俳優で人気なのはショーン・コネリーだが、武田が原作のボンドに近いと思っているのがダルトンだった。かの英国のダイアナ妃もそのような発言をしていたと報じられたことがあった。
 店長のキジマに中古を探してくれとお願いするのは気が引けたので、挨拶だけして、何も言わずに店を出た。

 駅まで歩く途中でシロタの連絡先を携帯電話に登録し、念の為、渡されたカードの写真を撮って、喫煙コーナーに入った。普段持ち歩いているライターを取り出してカードを燃やして、喫煙コーナーの水の入った灰入れに落とした。
 これは米国で情報管理の研修を受けてからの習慣だったが、誰からこのカードを隠す必要があったのか、自分自身でも分からなかった。のぞみから?それとも静香から?
 同僚の田口たぐち静香しずかなら「あら、名刺をもらうなんて相変わらずモテるのですね。次に抱くモデルはこの子ですか?」とからかいながら笑い飛ばしてくれるだろう。その裏で、彼女ならインターネットで一気に情報収集して、どんなモデルかのイメージを持っただろう。何なら黒い噂なども収集して、「余計なお世話ですが」と言いながら武田にいろいろ忠告をしたかもしれない。
 恋人の三枝さえぐさのぞみだったら、「どうして個人的な連絡先を知っているの?」と問題化するだろう。しかも自分とは一緒に行ったことがないディーラーの受付の女性とどうやって名刺交換したのか、問い詰めるだろう。
 どちらにしても、情報が重要なのであって、名刺そのものの物理的価値にはこの際、目を瞑ろう。
 地下鉄の中で、武田はシロタ=代田しろた由美ゆみの携帯電話宛にショートメッセージを送った。接客中なのか、反応はなかった。

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 さて、いよいよ本日のメインイベント、リュウとのパパ活デートだ。食事をして、その後ホテルの部屋で過ごす予定だったが、彼女とは初めて男女の関係、パパ活的には"大人の関係"になる予定だ。武田はそう思いながら、地下鉄の車両の中に爽やかなサマードレスを着ている女性がいて、リュウもあんな感じだろうかと想像していた。
 今日、リュウと会う場所は六本木コンチネンタルホテルだ。近年整備されたミッドタウンと呼ばれる地区の中心的ビルが六本木コンチネンタルホテルがメインとなっているミッドタウン・ウェスト。飲酒メーカーの美術館が入っているのが北側にあるミッドタウン・ノース、ショッピングモールが入居しているのが、ミッドタウン・サウスで、分譲された住居棟がホテルの反対側にあるミッドタウン・イースト。
 武田は地下鉄の出口から地上に出て、最も背が高いビル、ミッドタウン・ウェストを見上げた。地下鉄からそのままホテルに入ることができるエレベーターもあるのだが、一度地上に出て、どのような景色か見てみたかったのだ。というのも、この一帯は武田が米国勤務している間に整備・開業したエリアでよく知らない場所なのだ。
 風は爽やか、日差しは暑過ぎず、人の流れも穏やかだった。多分真面目なリュウは待ち合わせ時間よりも早く着いて、すぐにエレベーターでレストランに上がるよりも、一度地上を軽く歩きまわるだろうと想像した。
 武田はホテル用のエレベーターに乗ってホテル・フロントに行き、予約していた部屋のカードキーを受け取り、部屋で数時間横になった。夜のために体力を回復しておきたいとの意図だったが、昨晩の喜美香との対戦はそれなりに体力を消費していたと感じたためだ。
 完全に回復した武田は、一旦フロントに戻り、次にレストラン直行エレベーターに乗って、45階にある「フォーティー・ファイブ・アジュール・ブルー」へと向かった。

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 リュウはフラットなパンプスを用意した。あまり目立ちたくないのと、やはり帽子を被ると背が高く、威圧感があるのが気になるからだった。
 六本木駅から一度地上に出て、スラっと伸びた背もさることながら、姿勢も良く、モデルのように颯爽と六本木コンチネンタルホテルへと歩いて行った。抜けるような青空を背景に白と黄色のワンピースが映え、つばのやや広い帽子も良いアクセントになっていた。羽織っていたカーディガンは空とお揃いともいえる青いものだった。
 彼女はぐるっと歩いた後、ホテルの南エントランスから入り、45階にあるレストラン「フォーティー・ファイブ・アジュール・ブルー」への直行エレベーターに乗った。
 45階に到着すると武田が既にレストランの前で待っていた。

「あ、お待たせしてしまいましたか、すみません」
「いいえ、時間通りですよ」
「良かったです。
 今日はセッティング、ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ、楽しみにしています」

 武田はリュウの大き目のカバンを受け取り、レストランスタッフに渡した。
 リュウは微笑んで、腕を前に伸ばして武田の腕を掴み、そのまま組んで、レストランに入った。

 二人は武田が予約した窓側の席に案内され、リュウには東京の中心部が見える側の席、武田にはフロア全体が見える側の席が案内された。このホテルのレストランなら武田は顔を見られてもいいが、一緒にいる女性の顔を他人に見せたくなかったから、席がそういう配置になったわけだ。
 リュウは景色の良い席を喜んで、窓から見えるビルを指差しながら武田にいろいろ聞いていた。横を向いたリュウの袖なしのワンピースの脇からは黄色のブラジャーの横ストラップが少し見えたし、色が薄いためにあまり目立たないが、腋毛も微かに見えていた。
 武田は知り合った韓国人女性も中国人女性も腋毛の手入れをしていないことを不思議に思っていたが、年頃のリュウでも手入れをしないのだから、もしかしたらそれが普通なのかもしれないと思うことにした。日本女性も戦後しばらくまでは腋毛を手入れしていなかった歴史があるのも事実だ。

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 リュウが嬉しそうにいろいろ話してくれるのを見ていたら、この食事を楽しみにしていたことが分かる半面、食後の展開が心配で、わざと明るく振舞って自分自身の緊張を和らげようとしているのか、紛らわせようとしているのだろう、と武田は思った。
 それはそうだろう。経験が少ない上に、これまでお金のために好きでもない男性に体を許したことがないのに、空港で知り合った男性に1時間ほどの後に、自分のすべてを晒し、体の最も奥深いところに彼を受け入れることになっているのだ。
 そもそも好きでもない男性を受け入れることができるのか?自然の状態ならば、ほぼあり得ない状況に自分自身を置いていることが、今の緊張感に繋がっているのは当然だが、受け入れたからと言ってこの緊張感が解消するかどうかも分からないのだ。本当は逃げ出したいのかもしれなかった。

 リュウは素敵な景色が見られて、嬉しいのは嬉しいのだが、頭の中で今置かれている状況を冷静に見ようとしていた。

 テーブルの反対側に座っている男性は優しそうだし、これまで自分の話をきちんと聞いてくれてきた。自分が初めて接する"大人の余裕"が感じられる男性なのは確かだ。自分が男性経験が少ないことも伝えてあるし、暫くは彼とだけ関係を持つつもりなのも伝えてあるから、多分、無理なことは言ってこないし、無理な行為を求めてくることはないだろう。自分の勘を信じるなら、これまでの恋人よりも丁寧に扱ってくれるだろう。
 食事も景色も素敵。話も面白い。台湾にも中華文化にも興味を持っている。そして、何よりも自分に興味持ってくれている。とても居心地が良い。こういう男性に、パパ活ではなく、普通に出会えていたなら、幸せだっただろうか?

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