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天使と悪魔・聖アナスタシア学園(03)

天使と悪魔・聖アナスタシア学園(03)

第三章
 ~崩壊の種~

 アメヌルタディドは天空を旋回しながら小さな島国のやや大きな平野に向かっていた。二千年前には陸地すらなく、千年くらい前にようやく沼地となっていたところだ。四百年前にようやく街作りが始まり、干潟や沼地は埋められ、級数的に増加する人口を吸収しようと住居はまず横に広がり、次に縦に伸びた。
 地震があるのが特徴のこの島国の民は、ここ百年くらいだろうか、その地震とうまく付き合う方法を探りながら住居を縦に、空に向けて建てる技術を開発した。

 しかし、彼らはバブ・エルの教訓を忘れているようだ。そう、バブ・エルだ。あの物語は時代を経て、バベルの塔の教訓と呼ばれるようになった。天にも届かんとする塔を建てることは神への冒涜で、そのために神は塔を建てる人々が互いに協力できないよう言葉を乱し、意思疎通できないようにした。
 それで天を目指す塔の建築は止まった。互いに同じ言葉を話す部族ごとに塔を降りて四方八方に散っていき、言語の異なる部族が世界中に広がる原因となった。
 そうした中でも我々神族とほぼ同じ言葉を話し続けたユダヤ人は我々に近い土地に留まり、多くの物語を一連の書物に書き残した。象徴的な説話、或いは伝説的な物語となっている旧約聖書の記述は、時期や掛かった期間が分からないよう書き方を工夫されているが、彼らと我々の闘いの記録なのだ。
 いや、直接戦ったならば、人間などは我々神族には敵わないが、この地球を治めると約束をしたため、全天の神、そう我が父、は人間どもに地上の統治を任せたのだ。
 二千年ほどは自分たちを絶滅させず、何とかこの惑星を統治してきたが、さすがに20世紀央に人間が持ちうる兵器が神のいかづちの領域に近づいたことがあった。これにはさすがの父もお怒りになられて、地上を治めると約束してきた人間を順番に裁いて地獄へと送った。

「お、あれだな、マリア・フェライヤ・マサミンのやかた

 アメヌルタディドはわざと隣の建物の屋根に降り立ち、彼女の部屋の方向をまず眺め、彼女らがそこにいないことを確認すると降霊の会で使用している部屋の方を見た。マサミンと友人のユリ、この子はマリア・フェライヤ・ユリアと名乗っている、が肩を並べて古い文献を真剣に読み込んでいた。次の降霊の会で何か趣向を凝らした降霊術を披露するのか、珍しい霊を呼び寄たいのだろうか。

 アメヌルタディドは降霊の会に参加している聖アナスタシア学園の学生の中で窓口になっているマサミンが気に入っていた。彼女はよくわかっていて、請願者にもローマ風の名前を名乗らせていることに、彼は好感を持っていた。もちろん東洋人はローマ人ではないので、三つの名前を持っているわけではないが、それを模している点が彼にとっては面白かったのだ。

 ローマの男性は個人名、氏族名、家族名の三名で構成されている。ガイウス・ユリウス・カエサルが典型的な例だ。ローマの女性は家族名の女性形で呼ばれることが一般的だったから、ユリウス家の娘はユリア、アントニウス家の娘はアントニアと呼ばれた。

 さて、先週のセイラ・へレス・ユリカイアは心の欲求も満たされ、疑似的だが肉欲も満たされて、本当に嬉しそうだった。人間とは面白いものだ。その程度のことで幸せを感じて、日常が明るくなるなら、女性はもっと好きな人とどんどん肉欲を満たせばよいと思うが、社会的なルールやモラルとやらで抑圧されているらしい。
 逆に、人間にしてみたら、神々の交際の方が自由奔放過ぎて嘲笑の対象にすらなってしまっているらしい。まぁ、確かに全天の神である父も母以外に隣の世界の女神にちょっかいを出しているし、人間の娘にも恋をしていたりするからなぁ…。

 されはさておき、人間というのは嫉妬が感情の原動力らしい。ならば、恒例(降霊)会に参加している女生徒たちに嫉妬の種をまいて、どのように彼女たちの小さな社会が崩壊していくか見てみようかな。
 大人しいユリには肉欲の種をまき、知的なスミレには激情を注ぎ込み、活動的なサクラからは行動の自由を奪い、平和第一のマサミには闘うことを強いてみよう。しかも互いにではなく、外に興味関心を向かせ、互いを気にしているのに、互いを助けられない状況が面白いだろう。

 まずはユリだな。この子が自分の肉欲を抑えきれなくなったらどうなるだろう。理性的で落ち着いていて、勤勉な子だ。普通に恋愛をさせるには時間がかかり過ぎるから、生活が一変する事態を作り出そう。

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