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月と六文銭・第三章(2)

 IT技術の普及と通信インフラ整備が日本政府の急務となったが、誰のためのインフラ整備なのか…

~新製品、新規サービス案内~


 夕方、仕事が終わった三枝さえぐさのぞみとディナーに行く約束だった。シャワーを出た武田はパンツだけを履いた恰好で書斎に入り、ノートPCを開けて、メールを確認した。
 自動振分けされたフォルダのうち“新製品”と“新規サービス”をクリックして新着メールを確認した。
 本日の“新製品”はパーソナル・ドローンだった。小型軽量、ポケットに入る大きさだが、最大50メーター離れたところまで飛び、1千万画素のカメラ付きで、最大6分飛行できるものだった。半年前に発売されたもののアップデートバージョンだった。仕様書や使用方法のビデオへのリンクもあった。
 本日の“新規サービス”はブレードを利用したデジタル交換機のアップデートによる通信の高速化の案内だった。
 このフォルダには、ファミレスのランチの案内や旅行会社のシーズン・プラン、新型がん保険の案内など武田が投資している業界の情報も送られてきていた。
 武田はドローンの仕様書とブレードの仕様書を上下に並べて表示させ、ブラックベリーのロックを解除し、ログインした。ホーム画面にある“電卓”を選んで、ブラックベリーを横にした。電卓アプリは普通の電卓から科学計算用の電卓となり、右にスワイプしたら金融電卓となり、そこにドローンの特許番号のリストの上から4番目の整理番号を入力した。送信日が木曜だったので月曜から数えて木曜が4番目だったから4番目を選ぶことになっている。ブレードサービスについては同じくサービス価格表の4段目のサービス注文番号を入力した。
 金利計算に使うボタンを3つほど押して得た答えをコピーアンドペーストしてブラックベリーのマップアプリに入力した。
 今回のターゲットの正確な位置が表示された。同じ数字を個人間売買サイト“セリット(Sell It!)”に入力したら、今回の装備、日時が商品欄に表示された。購入額は武田の報酬を表していた。購入するということは任務を引き受けるということであり、引き受けなければ“購入”の権利は別の者に移ることを意味した。


 武田は絶対不可能という任務は引き受けなかったが、簡単なものも敬遠した。報酬と評判を考えた場合、継続的に仕事があることは大切だが簡単な仕事ばかり引き受けても仕方がないし、不可能に挑戦して失敗してもいけないし。
 武田は、他の者なら準備に時間がかかりそうな案件、条件がやや厳しい案件を引き受けて一定の評判を得ていた。米政府のコントラクター(契約先)・リストのグレードB(B級)に分類されている理由がこれで、独裁者の暗殺やテロなど主に海外が仕事先になるものもあまり引き受けなかった。
 元々彼の天才的な数学のセンス、いわば弾道計算能力と三次元再現力があって可能な狙撃が必要な場面は意外と多かったのだ。
 そう、武田は与えられた条件から狙撃を頭の中で計算して組み立てるのだ。時には支給された装備を基にしたし、条件から狙撃銃を指定することもあった。風向き、湿度、弾道、跳道、インパクトとダメージなどは軍隊ならば二人組で距離などを測定し、コンピュータなども使って弾道を計算するところだが、武田は頭の中か、さもなければ電卓で計算してしまう点が彼を特別な存在たらしめた。

 武田は腕時計を見て、そろそろ出かけなくちゃと思って準備を始めた。


 武田がエレベーターで駐車場のフロアに降りると、曽我部そがべ正和まさかずとスタイルの良い女性がエレベーターを待っていた。
 女性は曽我部氏に囲われていて、彼が訪れる時に迎えに降りてくるのだろう。曽我部氏がそうさせているのだろう。他人に見られた時、自分はこんないい女といるのだと見せつけたいタイプの人なのだろうと武田は思った。
 武田が降りて入れ替えで2人は乗ってが、足音からすると曽我部氏が奥に入り、女性は手前でボタンを押しているのが想像できた。

「お前はあの男を知っているか?
 どこかの投資会社の資金部長だか役員だかをやっているらしい。
 車の趣味がよくて、ほら、あの奥のメルセデスとポルシェは彼のだ」

 女性はブルーブラックのナンバー5124の凄みのあるメルセデスを想像していた。
 女性は、それはもちろん興味があるわよ、あの男に、と思ったが、エレベーターを降りながら曽我部の自尊心をくすぐるのを忘れなかった。

「でも、サラリーマンなんでしょ?
 パパは会社のオーナーだもんね」

 曽我部は満足気に女性の尻を掴みながらエレベーターから降りた。


 ガチッ。武田は500Eのシートに収まり、ドアを閉めた。ポルシェとは違う質実剛健な音がした。メルセデスでもきちんと作られたと評判だったW124型中型セダンのEクラスに大きなエンジンを載せただけなら評判にもならなかっただろう。
 スポーツカーであるSLのM119型V8エンジンを搭載するためにポルシェはエンジンルームを変更し、足回りやブレーキまで変更してしまったのだ。メルセデスの『シャーシはエンジンよりも速く』を逆手に取った『シャシーもエンジンも速くしたらこうなった』的なモンスターだった。

 “速いドライバー”は見ただけで“速い車”を見分けるらしい。信号で停車した500Eの、今にも飛び出そうとする猛獣のようなオーラは、ちょっと車を知っているドライバーを刺激した。イメージからすると、ちょっと扱いにくい車のようだが、さすがメルセデス、猛獣の手綱は誰が握っているのかをきちんと車に教え込んでいた。


 マンションから数分で駅入り口の交差点に到着し、駅の方から歩いてくる老若男女を武田は眺めていた。まだサラリーマンがたくさん出てくるには早い時間帯だった。日本の会社は無駄が多く、今でも長時間労働が当たり前、夏でさえ太陽が出ている時間に帰宅できないのをおかしいと武田は思っていた。そんなこともあって、武田は生産性の高い“外資”に移り、実績が出来たところで今の会社に移ったのだ。
 買い物をするOLや主婦、保育園の迎えの帰りのママと子供達の自転車などはカラフルで、意外と飽きないものだと感じ始めていた時、交差点の向こう側に少しだけ背が高く、主婦らの頭から髪が突き出している女性が見えた。

 のぞみは統計的には“背が高い”に分類される訳ではなかったが、平均値と最頻値とはズレがあるもので、実社会で見かける女性の多くが160cm未満のため、ぱっと見、高いと言えたし、8センチヒールを履くと170cmを超えた。仕事の日は男性にあまり背が高いと思われたくないのか、武田に遠慮しているのか、3cm程度のパンプスや通勤の時だけスニーカーに履き替えていた。
 おっ!のぞみが武田の車を見つけ、手を振っていることに、武田が気付いた。
 のぞみは他の人をかき分けたり、走り出したりせず、人の流れに乗って交差点を渡り、自然な感じで右ドアまで来た。武田はドイツ車のドアロックが走り出すと勝手に締まるようになっていないことが好きだった。

「今日はこっちなのね。珍しい!
 大っきい羽根を探していたのよ、最初」

 のぞみはそう言いながら、乗り込んできた。

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