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月と六文銭・第四章(5)

 武田は、自分の部屋のオーディオでCDを聞きながら、恋人・三枝さぐさのぞみと彼女の母のことを思い出していた…

~執着を捨てろ~


 武田が座学で一番気になったのは、「執着を捨てろ!」という指導だった。武器はコチラが提供するから道具として性能の極限まで使って、終わったら手放せ、と教わったのだ。

 その時の狙撃に合致した銃器を提供されるし、狙撃現場を離れる時に所持していたら逮捕される可能性が高いから、すぐに身から離すことに躊躇するなと言われた。

 これは任務に関係するどんな道具でも一緒で、すぐに捨てろ、身に付けているところを見られるな、とこれまたしつこく言われた。


 PC、携帯電話、双眼鏡、カメラなどは状況に合わせ、必要ならすぐに捨てろと。その場合、持ち帰るならメモリチップくらいで、ベルトバックルやネックレスに格納できるものを身に付けるよう指導された。

 武田はネックレスをする"趣味"がなかったので、ベルトのバックルにハンディナイフとメモリの格納スペースがあるものを選んだ。

 人間関係、職場環境も3年に1回程度変えて、周囲にあまり深く知られることがないことも求められた。幸い武田の業界は3年に1回程度の転職は珍しくなかったので、職場で仲良くなり過ぎることはなかった。


 これは女性関係も同様で、長い付き合いになるとその女性に固執するようになり、それがどこで足枷になるか分からないから、気を付けるよう注意された。

 女性との関係で、最悪の場合は何をやっているのかが分かってしまい、官憲に追われる、或いはその女性を手にかける必要がでてきたりしたら、その後の機能度にも影響する可能性があった。

 武田はトレーニングを終え、正式に“契約”してからは、モデルやレースクィーン、OLやクラブホステスなどと比較的短い付き合い繰り返していた。メディアに捕捉されないよう静かに付き合って、時期が来たらすっぱりと別れていたが、後に有名になったレースクィーンやモデルもいた。


~のぞみの母・弘美~(前編)


 執着するなと厳しく指導され、女性との交際も比較短期間で繰り返してきたが、武田にはこのルールを破って付き合いが3年目に突入した三枝のぞみという女性がいた。

 若手のアナリスト/ファンドマネージャーで、現職のアジア総合投資顧問(Asia General Investments=AGI)の同僚だった。親子ほど年齢が離れていたが、武田の癒し系といやらし系の両要素を満たしてくれる稀有な女性だった。


 武田という苗字は戦国時代の武田氏に繋がるものだったが、本家ではなく、弟を祖とする分家筋だった。本家の末裔は躑躅ヶ崎つつじがさきやかた跡にある武田神社の宮司として現在も血脈を繋いでいた。

 武田の父は商社マンとして米国と台湾で勤務し、駐在員勤務でない時は月に一回は海外と日本を往復していた。時差と宇宙線(宇宙からの放射線)が寿命を縮めたのか、定年退職後すぐに亡くなっていた。

 武田の母はケアホームに入っていた。男性である武田が面倒を看るのは難しく、話し合いの結果、プロにお願いした方がいいということになり、武田が費用をすべて用意した。


 武田は1年の留学から帰国した後すぐに、一緒に留学に出発した当時の彼女・坪井つぼい美里みさとと別れた。1か月半で戻って、ずっと待っていた彼女は一緒に留学した共通の友人・大川おおかわ麗子れいこに復縁の仲介を頼むなど、少しこじれた時期があった。

 いつの間にか武田が国際部に通う女子学生と仲良くなっていたこともあり、結局武田の心境の変化に共通の友人たちもついていけなくなって、坪井は彼のことを諦めた形となった。


 国際部に所属した帰国子女の一人に小畠こばたけ弘美ひろみという子がいた。父が商社マンで主に東南アジアに駐在していた関係で、あちこちの言語を少しずつしゃべったが、とにかく日本人にしては英語が抜群で、香港にいた時期に身に付けたブリティッシュ・イングリッシュがおしゃれと言って武田は気に入っていた。

 付き合っていた女性を名前で、しかも呼び捨てにする武田にしては珍しくあだ名で呼んだのが弘美で、コバタケからバタケ、バターケー(Butter K)と呼んだ。武田はビタミンC的な表現だと思っていたらしい。

 武田はよく「Butter K, do you have the time?」とブリティッシュ・イングリッシュで弘美に時間を尋ね、時計を見ようと腕を上げた弘美の手入れされていない腋毛を見てニヤニヤした。

 理由は不明だったが、日焼けしているためなのか、毛の色が濃くないためか、弘美自身は就職活動が始まるまでは腋毛を気にしたことがなかった。

 武田が中国の工作員に狙われた時、彼女も脇の手入れをしていなかったのだが、それはかなり後になって気が付いたことだった。


 大学入学前に社会人を1年経験していた大川麗子は、行き届いた化粧とジム通いで引き締まっていたボディだったので、そういうのが好きだった武田の親友・畑野はたの圭太けいたは大川にぞっこんだった。

 大学一年次の夏の海水浴以降、畑野と大川が付き合っていたのは、「麗子は大人だなと感じたから」だと畑野本人が言っていた。

 俄かとまではいわないが、ややオシャレな都会の元高校生が多い同級生の中にあって、ちゃんとしたオシャレができる大川はとても魅力的に映ったのだろう。

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