しなやかに払って

JANコードのついた本を、じつに久しぶりに買った。
 
わたし、本はよく読むけど、そのほとんどを図書館で済ませている。
大阪は図書館がすくないが、借りている人もすくないようで、じきに順番が回ってくる。
(これは本を読む人が減っている、ということだから嬉しい反面、さみしさもあるけれど)
 
そうしてただで好きな本を読みたいときに読むことが出来るけど、どうしても傍に置いておきたくなる本というものがたまにある。
今回買ったのも、そう。
 
好きな女性作家のエッセイで、本というよりは「運命の女友達」とでもいったほうが正しいような、そんな本である。
 
昭和くさい美人画の装丁、なんでもない日々を自分なりに楽しむための秘訣みたいな金言の数々、きっともっと若いころだったらこの本の良さは分からなかっただろう。
腰を据えて、やっと自分の人生の展望をじっくり考えようという気になっている、いまの年齢で読むからこそ素晴らしさもわかるのだという、そんな本である。
 
「なんか、アタシたち、おんなじようなこと考えてない?」
「ひゃ、アタシも今そう言おうと思ってた!」
 
そう語りかけてくれる女友達のような、親しみやすくてドッシリした美しさのある本である。
 
図書館で借りたこの本はずいぶん年季が入っているとみえて、裏表紙の背に貸し出しカードが貼っつけてある。
「95.3.16-」なんてスタンプが押してあったりして。
きっと図書館の手続きが電子化される前から、大阪市の図書館にある本なのだろう。
 
あまり読まれていないのかな。
信じられない。
こんないい本なのに。
 
でも、しってる人はしってる、そんな本こそだいじにしたいではないか。
私だけが知っている、私の体臭にこそ合うひみつの香水みたいじゃないか。
 
この本を読んだら、なんだか、ピンク色のレンズのサングラスをかけたときのようなうきうきとした気持ちになった。
こういう可愛くていい匂いのする本は、どうしても手に入れなくちゃならない。
そうして、廃盤のミニチュアの香水壜を買うような気持ちで、1冊の本を購入したというわけである。
 
 
香水壜やアイシャドウのパレットを買うような気持ちで本を買うことが、よくある。
そのような感じで、『〇〇のような気持ちで△△を買う』ことってないかな、と考えてみた。
 
それでいうと、最近のわたしは「八百屋でパプリカを買うような気持ちで、服を買って」いる。
それがちょっとまえは「占いに行くような気持ちで服を買って」いた。
「これを買って着たらすてきに見えるはず、いや、見えてください!」というおまじないのような気持ちである。
いまよりコンプレックスも多いし、たえず欲求が満たされないし、祈るような気持ちで服を買う日々は、おしゃれが苦しかった。
 
それが今はもっと実質的に変わった。
コンプレックスだって不満だってあるけど、トシとって
「ひらきなおった」
というのが大きい。
 
「まぁ、シンドイこともあるけど、楽しいことだって街に出てみたら色々あるでしょ」とふんぞり返ることだってできるようになった。
それからは服にはそんなおカネをかけなくなって、「どうしてもちょっと彩りが欲しいんだっ」というときに1,2枚買う。それだけで満足している。
気に入ったかたちは色違いで買う、ということを覚えたのも最近。
この、ラクなことったら!
 
パプリカだって黄色を買ったらつい赤色も買う。
そのような軽々としたおしゃれで、とりいそぎは大満足である。
 
 
もうひとつ、わたしの生活を楽しくしてくれるものとして
「お笑いライブのチケットを買うこと」があるが、それは「髙島屋でおそうざいを買うこと」に似ている。
 
髙島屋のデパ地下は、なんで、あんなに愛しいんだろう!?
 
惣菜のコーナーも甘いもののコーナーも好きである。
甘いもののコーナーで、世にも美しい包装紙たちや、黄色ピンク色みず色さまざまなアイシングがかけられたクッキーや、素朴なカンカンに入った発酵バターのマドレーヌ(本日分は完売しましたの札付き)や、荘厳な、としか言いようのない羊羹売り場などに心乱され、
「うぅ、私は何を食べたいのだろうか?」
と千々に乱れた心をリフレッシュさせるために1ぱいの生絞りジュースを飲む悦楽といったら。
でもその悦楽は、お笑いライブのチケットを買うことと比べたらいささか可憐すぎるような気もする。
 
お笑いライブは、もっと気張らない、
「わッわッ」
とした緩んだ楽しみに近い。
 
これが梅田阪急になると、もっと「ツン」とした感じなのだが、髙島屋のデパ地下は生活と地続きの感じがある。
 
小鯛の柿の葉ずし(これは少量しか買わなくても、ちゃんと甘酢しょうがを入れてくれる。上品に細長く切られていて、それがまたおいしい)、すぐきのお漬物、きくらげの細かく刻んだのが入ってる練り物やら何やら、どれも500円もしないものなのに、買って食べて食べた後もしばらく顔がほころばせてくれるようなおそうざいたちである。
 
お笑いライブのチケットだって
「ほんまに、そんな値段でいいんですか」
といいたくなるような手ごろな値段である。
 
それで、見た後もズーッと心に残ったり、思い出して笑ってしまったりするようなネタを見れるのだから恐れ入る。
たまに「なんて荒いネタやっ!」というようなネタを見ることもあるが、それだって逆に自分の創作の励みになっている。
 
とりあえずやってみな分からへんやろ、そういう姿勢。
賞レース勝負ネタ、みたいなネタをいつでも、すぐにやれる芸人なんていない。
「これがやりたいから、伝われへんかもしれへんけど、やるのだ」というネタ、ただただ本人たちが楽しいだけのネタ、などそんな“ハレ”と“ケ”の“ケ”なネタを見るのも大好き。
傑作は数多の荒ネタのうえに出来上がる、というその過程を客席で見て、学ばせてもらっている。
 
今週末は好きなコンビが出るお笑いを見に行き、帰りに髙島屋にも寄って帰る予定だ。
この世の春やね。
 
みなさんもどうせだったら出来るだけたのしく、おカネをつかってくださいね。

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