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同志を探しています

あれれ、こんなに凄まじい作品だったっけな。純粋な"面白さ"、或いは"楽しさ"は初めて観たときと変わらないにしろ、180°も違う角度から突き刺された。キャッチーな可愛さに溢れた映画などというものではなかった。そう見えたかに思える"映像"は、ドス黒い現実を取り繕うかのような視覚表現でしかなかったのだ。

今月の〈観る会〉はウェス・アンダーソン監督作品『ムーンライズ・キングダム(2013)』を。これまでにも何度か観ているが劇場ではこれが初めて。個人的にウェスの全作品の中では上位に入っていなかった。その原因は"映像ありき"の鑑賞をしてしまっていたことであろう。

画面に流れる光景を軽視しているとか、そんなものではなく。ただ他の作品と比べて人物や出来事の掘り下げ等、どこか浅い気がしていただけのこと。今夜の〈観る会〉はそんな印象を覆すには十分過ぎた。というわけで監督"いつもの"個性的なカット等には触れない。

シニカルな映画だ。作品世界が"現実"という真っ暗な嵐に包まれているからこその、オブラートとも云うべきポップな雰囲気を押し出した作風であったのではないのか。皆、孤独に溺れている。現実は余りにも残酷だ。

見捨てられる子供、夫婦の不和、子供に対するラベリング。オトナの世界とコドモの世界に隔たる壁が互いの理解を阻む。数少ない理解者らはどこかコドモらしさを纏っている。ボーイスカウトという存在はオトナ、コドモの二つを結ぶものでなかったか。

ただ単に無邪気さ、自由さを謳歌できるコドモ時代への賛美を謳っている作品でないことは、流れる血や失われた命を顧みると明らかだ。しかしながらあの無責任な、無謀な、それでもひたむきな真っ直ぐさに心を打たれる。

ムーンライズ・キングダム、月が昇る王国。そこで太陽は沈みゆく。灼熱の炎を迸らせ、眩いほどの光を放った太陽はコドモ時代。冷静にその輝きを調節し、周囲への影響を考慮し留める月がオトナ。これは流石に安易かもしれない。


まあそんなことはどうだっていいんだ。ここからが重要であって。本題に入るよ。主人公の少年サムって死んでいないか???私の他に死んでる派の人はいないのだろうか。〈探しています〉の看板を立てたいくらい。

いや、そうだよ、最後のシーンで普通に登場してたけどさ、なんだかモヤッとしないかい?あの寂しげな表情とやり取り、音楽ときたら切なさが全面に押し出されているじゃないか。あれは過ぎ去りしコドモ時代の象徴なんてものなのかな。

エンディングに入る前にあの失われた海岸が映るんだけど、そこで(サム君死んでないか?)って思ったときに鮮烈な痺れに襲われたの。そこからは確信していたね、彼は死んだと。劇場を出てそれを会員(会の会員は私含め二名だ)に熱弁すると撥ねられた。それで感想なぞ探してみたのだけれど、同じ解釈の人がいないの。

『ライフ・アクアティック』も『グランド・ブダペスト・ホテル』も『フレンチ・ディスパッチ』も。死んでたじゃん?ウェスさんって割と登場人物よく殺すじゃん?教会上のシーンなんて『フレンチ一』の電波塔と同じだよ。

作品としての便宜上あんな終わり方にしたんじゃないかな。そう考えているんだけど。

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