見出し画像

月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。

新年になって五日目に仕事始め、そこからまた三日間の休みときたものだから、何やら時の流れが遅くなっている気がする。時間の進みが異なる云々の話を聴いたのは、数年前の、相対性理論の授業だったろうか(恐らく、それでは私の時間を解明することは出来ない)

ここ数日は三角形のお月様だの、捕まえられたホーキ星だの、奇天烈なお話ばかり読んでいたから、思考も明後日のほうに飛んでしまいがちだ。

土星が三つ出来た話
 街かどのバーへ土星が飲みにくるというので しらべてみたら只の人間であった その人間がどうして土星になったかというと 話に輪をかける癖があるからだと そんなことに輪をかけて 土星がくるなんて云った男のほうが土星だと云ったら そんなつまらない話に輪をかけて しゃれたつもりの君こそ土星だと云われた

稲垣足穂『一千一秒物語』より

目に見える星の数と、精神の豊かさは比例するといった類の、説教臭い(それも的外れな)或いはそれこそ下手に洒落たようなことを言うつもりは毛頭ないが、それでも星月夜に心惹かれること``の心地好さだけは、何物にも代えがたいのだ一一

日展の巡回展を観に行った。上述の流れを汲んで、いくつか。

たとえて言うならば、稲垣足穂氏は、ハレー彗星のように巨大な形而上学の抛物線を描き、夢とポエジーの美しい尾を曳きながら、昭和元禄と呼ばれる猥雑きわまりない時代の夜空にふたたび現れた、一個の高貴かつ無垢なる星なのである。

澁澤龍彦『偏愛的作家論』
〈タルホ星頌〉より

「夜空への憧憬を皆が持っている」というのが思い違いであるのは薄々気付いているけれど、皆が持っていた``というのは何処か捨てきれない。私が知ったことではないが...

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?