私の好きなもの part2 ギャラリートーク

 香川では誰もが猪熊弦一郎のことを「いのくまさん」と呼ぶ。〈丸亀市猪熊弦一郎現代美術館=ミモカ〉のことさえいのくまさんと呼んでいた。かつてそんな話をどこかに書いたか話したかした記憶があります。「誰も」というのは、ぼくが会った人のほとんどがというくらいの意味ですから、ぼく個人の印象に過ぎません。ただ、その印象は強烈なものでした。まるで知り合いのような親密さというか、画伯とか先生とかよりも、もっと心からの自然な尊敬の念がぼくには感じられました。

 どうしてみんなが「いのくまさん」と呼びたくなるのか、その理由を考えること。それが今回の〈四国村ギャラリー〉の展示「猪熊弦一郎展 私の好きなもの」の企画監修を務めることになった時に、最初に頭に浮かんだことです。

 まずは会場となる〈四国村ギャラリー〉に行きました。実は安藤忠雄の建築はあまり好みではないんです。でも、ここはぼくに苦手な建物だなと思わせる部分があまりなかった。それはどうしてなのかを考えること。それが2番目の課題となりました。

 入口からまずまっすぐ中へ進み、突き当りを180度まわって階段を降りる。降りた先に展示室の入口がある。中は薄暗く鰻の寝床のように細長い。左に進んでどんつきまで行って振り返ると、明るい小部屋のように見えるスペースがあります。そこまで進むと、その明るさが左側から来ていることに気づく。で、振り向くと展示室の壁を左手に、そして右手はガラス窓という細長い廊下があって、その先にわずかに外が見えている。明るいほうに向かって進み、ドアを開けるとテラスがある。そして水の音がします。椅子に座ってしばらくぼうっとする。目の前には水景庭園と名付けられた棚田のような階段状の小さな池に水が流れ落ちていきます。そして正面に讃岐の景色が広がっている。

 これが、ぼくにはミモカと同じだなと思わせたんです。絵を鑑賞した後に、水の音がする広場があって、そこでぼうっとお茶が飲める。階段を上がる下がるの違いはあるけれど、体験としては同じなんだと気付いた。

 ミモカでいのくまさんを観ると他の場所とは違う感慨を持つのは、それが「鑑賞」に終わらずに「体験」として自分の中に定着するからなのだと思うのです。だから、どう見せるかということだけ考えても、ぜんぜん心に残らないだろうと想像したのです。いのくまさんを体験してもらわなければならない。そして鑑賞者もいつの間にか「猪熊弦一郎」ではなく「いのくまさん」と呼んでいるというふうになるのが理想です。

 ところで、いのくまさんの代表作って何でしょう?

 例えばモネだったら「睡蓮」、ピカソだったら「ゲルニカ」のような、画家の名前を聴いてすぐに誰もが思い浮かべる絵のことです。失礼を承知で言うと、いのくまさんには衆目が一致するという意味での代表作はなく、誰もが、それぞれ自分のいちばん好きないのくまさんの作品を頭に思い浮かべるだろうと考えました。長い画家としての人生で、素直にその時々の気持ちのままにスタイルを自由に変えてきた、つまり過去の業績や評価などに囚われないから、いのくまさんのどの時期にフォーカスするかで印象はまるで違うはずです。ならば網羅したほうがいい。だから、ぼくの仕事は、膨大な作品をできるだけ網羅的にコンパクトにまとめられるかということだと、頭が整理されてきた。

 どれがいちばん好きかは鑑賞者が決めればよい。つまり自分にとっての代表作は何かを考えるために観る。私の好きなものを決めるための場所にすればいいんだなと。

 ちなみにぼくが「いのくまさんの代表作は何?」と聞かれたら、たぶん三越の包装紙「華ひらく」と東京會舘の壁画「都市・窓」と答えるでしょう。いずれも美術館で観るものではないところが、ぼくにとっては、いのくまさんの真骨頂だと思うのです。そういう考え方も込みで伝えないと、いのくまさんの魅力はわからないかもしれません。

 実は、いま休館中のミモカはどうなっているのだろうと思い、丸亀市に行ってきました。で、美術館の方と話していて、その人が「ミモカは猪熊の作品だと思うんです」とおっしゃった。これ、まさしく言われるまで気付いていませんでしたが、ぼくがぼんやりと考えていたことを、きちんと言葉にしていただいたなと思ったんです。

 今回のパート2の展示でも、ミモカそのものをテーマにした部分があります。ああいう場所が自分の街に在るって素晴らしいことなんです。無用の美、あるいは用のない美という言葉を、ぼくは好きでよく使うのですが、人間というのは浅ましいもので、お金を出したらやっぱり見返りが欲しいんですね。だから「これは何に使うのか?」とか「どういう意味か?」とか、自分に役に立つかどうかをすぐに決めたがる。でも、美しいものは、ただそこに在ればいいんです。すぐに何かの役に立つことはないけれど、いつもそこに在ることで、誰にとっても必ず意味を持つ(ただその意味に気づくには時間がかかるのですが)。

 つまり、いのくまさんはミモカという美術館を、大きな「体験型」の作品として晩年につくったんですよ。美術は観るものではなく、体験するもの。体験として自らの身体や心に染み込ませるものという信念が、たぶんあったはずなんですね。そこから、すべてを発想していったのだと思います。だから市民にとっていちばん当たり前の場所、丸亀駅前にそれを建てたのだと思いますし、カフェもつくったのだと思います。そしてそこを「体験」した人なら、この場所はいのくまさんそのものだなと感じて、美術館にまで「さん」をつけたくなったのじゃないかな。ぼくは何度もそれを体験していたから、そのメッセージを知らないうちに受け止めていて、今回の企画監修で、それを自分なりになぞってみただけということなんだろうなと思っています。

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