あれとこれは本当に似ているだろうか

 会期が延びたこともあって、もう四回も〈ギャラリーTOM〉に出かけ、掛井五郎の彫刻や絵を観ている。先日は帰りに『ESSENCE』という薄っぺらい冊子を購入した。1998年に〈麻布霞町画廊〉で開催された展示のカタログらしい。作品に番号が振ってあり、おそらく掛井五郎自身が書いたに違いない短い解説が、巻末にまとめて印刷されている。それをただここに書き写すだけでも、彼の制作態度やユーモアが伝わってくるだろうから、試しにちょっとやってみようと思う。たまたま開いたページには29番から35番までが載っていた。解説はこうだ。

▶︎29 調布 1998 h 8.5cm 清涼飲料のキャップ、ボール紙に鉛筆でドローイング ● 散歩に出かけると、路傍に奇妙なものを見つける。帰りには、それを拾っている。
▶︎30 桐生 1994 h 17.0cm ワインのコルク栓と鉛キャップ、楊枝、蒲鉾の板 ● レストラン「ファンベック・スズキ」で葡萄酒を飲みながら、”森のボス” を思い浮かべた。
▶︎31 三田 1996 h 30.0cm ダイレクトメール、割り箸、蒲鉾の板 ● 窓から見える森の鳥。
▶︎32 ベルギー 1997 h 29.5cm 段ボール紙、割り箸、木箱 ● カンブルの森に太陽を待ち望んでいた。
▶︎33 三田 1996 h 27.5cm 菓子箱、割り箸、蒲鉾の板
▶︎34 三田 1996 h 34.0cm 段ボール紙のパッケージ ● ベルギーワッフルと花。
▶︎35 ベルギー 1997 h 21.7cm 書籍の外箱に鉛筆でドローイング、ボール紙 ● D.H.ロレンスの詩集とベルギーでの心境。

 つまり彼は不要となったものを材料として何かをつくっているのだが、すぐに猪熊弦一郎の「対話彫刻」のことを連想してしまう。1日に50本以上の煙草を吸っていた猪熊は、健康のために禁煙した際、習慣をひとつ失ったことの穴埋めとして、食べたキャンディーの包み紙などを丸めたり延ばしたりしているうちに形になっていくことを面白がり、それを「対話彫刻」と名付けた。対話彫刻は〈丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館〉の2階に、いつも常設展示としてガラスケースの中にたくさん並べられていた。掌にのるようなサイズの彫刻の細部を鑑賞するには、そのガラスケースはちょっと高さが足りず、しゃがみこむのが面倒だったから、ぼくはちらりと横目で通り過ぎるだけだったが、猪熊の対話彫刻と似た雰囲気を掛井のこれらの作品が纏っているように感じるのだ。

 とはいえ、ぼくは『ESSENCE』というカタログ(しかもモノクロームの写真を使ったもの)しか観ていない。だから「似ている」と判断するのはあまりに曖昧な、自分の印象だけに頼りすぎた発言になってしまうだろう。実は先日、インスタグラムにポストした〈ギャラリーTOM〉の展示の様子を見た海外の人から「It seems …Giacometti’s influences…」とコメントが入り、「似ている」とか「影響を受けている」ということをあまり軽々しく言わないようにしようと思ったばかりなのだ。おそらくコメントをした人はジャコメッティを観ているだろうが、掛井五郎を観てはいない。当該の作品「影」はジャコメッティとはまるで違うものだとぼくは考える。彼も実物を観れば、そのことを納得してくれるはずである。体験に基づかない印象だけで判断できることも多いだろうし、すべて体験に基づいていなければならないのなら、この世から言い切りの小気味良さというものは消えてしまう。でも、いまは言い切ることの誘惑から、少し距離を置きたいと思い始めている。少なくとも「いや、待てよ」という一呼吸は置くようにしたい。ただこの先、掛井五郎が蒲鉾の板なんかを使って制作したオブジェを観られる機会なんて、果たして巡ってくるのだろうか。

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