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神須屋通信 #34

 能登半島地震の被災者の方々に心よりお悔やみとお見舞いを申しあげます。
 私が友人たちと奥能登の海縁にある「ランプの宿」に宿泊したのはもう何十年も前のことですが、ネットで確認したところ、「ランプの宿」には大きな被害はなかったようです。でも、当時訪れた輪島の朝市は消滅してしまいました。地震大国に住む身とはいいながら、なにも元旦早々こんなに揺らすことはないだろうと、何者かに恨み言を言いたくもなります。今はまだそんな事を考える時期ではないでしょうが、被災者の皆さんが少しでも早く日常の生活を取り戻し、輪島の朝市もまた以前のように復活することを願っています。

住吉さんで源氏物語を思い出す

 毎年元日には、近所の小さな土生神社に初詣して、小さな干支の絵馬がついた破魔矢をいただくのがここ数十年の習慣になっています。今年は辰年ということで、まずは手水舎の龍に挨拶してから拝礼しました。これも毎年恒例で、絵馬の前で記念撮影。龍にしては可愛すぎる絵馬ですね。この時には、まさかその元旦の日に地震が来るなんて夢にも思っていませんでした。そう、あの日の午後には、私たちが住む岸和田でも揺れを感じたんでした。阪神淡路大震災の時ほどではなかったですが、ゆったりした横ゆれで気持ち悪かったのを覚えています。

 三が日の混雑が終わった四日に、大阪市内の住吉大社にお参りしました。大阪市内で生まれ育った私にとっては、初詣はやはり「住吉さん」ということで、岸和田に移り住んでからもう30年以上になりますが、今でも地元の神社の他に住吉大社にもお参りしています。そういえば、この社は、今年の大河ドラマ「光る君へ」の所縁の場所でもありますね。「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の帖はここ住吉大社を舞台にしている。須磨明石に左遷されていた光源氏が都への帰還を許され、その御礼参りとして海の神である住吉神を祭るここ住吉社にやって来る。光源氏の姫君を産んだ明石の君も偶然同時期に参詣していたが、源氏一行のきらびやかさに気圧され、身分の違いを実感して会わずに帰ったというお話です。今では街中にある住吉大社ですが、当時は海岸べりにありました。参詣者たちの多くも海から船で訪れたそうです。住吉さんと言えば朱色の太鼓橋。子供の頃はこの橋を渡るのに勇気がいったものですが、今では前期高齢者になった私も家内も、違った意味で気合いを入れて渡りました。今年も足腰をしっかり鍛えないと。

東寺で龍を買う

 1月10日、今年初めて京都へ行きました。主な目的は東寺で今年の干支である龍のおみくじを買うことだったので、日帰りでもよかったのですが、せっかくの京都なので一泊することにしました。昼頃に京都駅に着き、駅前のホテルに荷物を預けた私たちは、京都駅にある「東洋亭」近鉄店で昼食をとった後、近鉄電車で、京都駅からは一駅の、東寺へ向かいました。昨年の正月、岡崎神社で兎のおみくじを買えずに落胆していた私が、後に訪れた東寺で同じような兎のおみくじを発見して救われたという話は昨年の神須屋通信に書きました。そういうわけで、正月に東寺に行くことは昨年から決めていました。それにしても、どうしてちっぽけな干支のおみくじに、私はこんなにこだわるんでしょうかね。自分ながらおかしいと思いますが、まあ、決めたことは決めたことです。私たち夫婦は今年も一月に東寺にやってきました。

 せっかく東寺に来たので、おみくじだけ買って帰るのはもったいないと、昨年は見物しなかった、無料のエリアだけを見て回りました。東寺には、仏像ファン垂涎の国宝立体曼荼羅で有名な金堂や講堂がある有料エリアと無料エリアがあります。雨が降りそうな曇り空だったこともあって無料エリアは空いていましたが、さすがに京都です。海外からの観光客の姿が何組かありました。このエリアには、国宝御影堂(大師堂)や大日堂がありました。大日堂は先祖供養の回向所になっているというので、ここにお賽銭をあげてお参りしました。実は、御影堂の近くで龍の浮き彫りのある灯籠をいくつか見つけていたんですが、大日堂の横に立っていた金属灯籠にひときわ立派な龍を発見したのでスマホで撮影。それが下の写真です。迫力がありますね。可愛いおみくじの龍とはまったくの別物でした。そういえば、灯籠の籠の字の中にすでに龍がいますが、灯籠と龍にはなにか関係があるのかな。火除けのおまじないかもしれない。ネットで検索してみると、龍神が先祖に灯火を献じたのが灯籠のおこりだという説があったそうです。まあ、そんなことはどうでもいいんですが、今年が辰年なので、気になってしまいました。そういえば、どうして龍年じゃなくて辰年なのかな?

南禅寺で湯豆腐を食べる

 翌日、ホテルをチェックアウトした私たちは、荷物をフロントに預けて地下鉄で蹴上に行きました。目的地は南禅寺というより、その門前にある湯豆腐の店「順正」でした。ここで昼食をとる予定でした。行列ができる前にと早めに来たんですが、早すぎたので、「金地院」を先に見物することにしました。南禅寺には何度も来ていますが、ここに入るのは初めてでした。予想したよりも中は広くて素晴らしい庭がありました。「鶴亀の庭」というそうです。北山からこの地に金地院を移した金地院崇伝は徳川家康のブレーンだった僧侶で、「どうする家康」にも登場していましたね。(最終回で小栗旬が演じたのは同僚の天海僧正)その関係からか境内に東照宮がありました。久能山、日光とならんで、三大東照宮のひとつだそうです。ここには家康の遺髪と念持仏が納められています。いずれにしても、時間つぶしで拝観するにはもったいない場所でした。

金地院東照宮

 さて、「順正」。京都には湯豆腐で有名な店は他にいくつもありますが、私は50年ほど前に初めて訪れてから、ずっとここを贔屓にしてきました。来るたびに店が大きく綺麗になってきたのは同慶のいたりです。今回は2年ぶりでした。ということは、コロナ禍が始まってからも来ているんですね。どれだけ好きなのか。いつも、一番プレーンな湯豆腐だけを楽しむ料理を注文していますが、それでも田楽や天ぷらも付いていて、お腹がいっぱいになります。美しく整えられた庭を眺めながら暖かい湯豆腐を食べる至福の時間でした。能登半島の被災者の皆さんに申し訳ないと思ったのは、食べ終わってからのこと。なんとか義援金の寄付で許してください。

 枳穀とはカラタチのことだった

 「順正」を出て、蹴上駅から地下鉄に乗った私たちは、京都駅ではなく手前の五条駅で下車しました。京都を離れる前にもう一カ所、行きたい場所がありました。京都市観光協会が主催する「京の冬の旅」は今回が58回目の非公開文化財を特別公開する観光キャンペーンですが、今年のテーマのひとつは大河ドラマと連携して源氏物語だそうです。例えば、紫式部が生まれた場所に建っているという「廬山寺」なども今回のキャンペーンの対象になっています。今回、私たちが拝観した「渉成園」は51年ぶりにキャンペーンに参加しました。

 私が以前から一度は拝観したいと思っていた「渉成園」ですが、もともとは東本願寺の門主の隠居所としてつくられた別邸でした。江戸時代から名庭園として有名だったようで、頼山陽が庭を褒め称える詩を書き、幕末には徳川慶喜も滞在したといいます。残念ながら、蛤御門の変の時に京都の大半が焼失。現在の「渉成園」の建物は明治時代に再建されたものだそうです。「渉成園」の別名は枳穀邸。枳穀はカラタチのこと。かつて周囲にカラタチの生け垣があったからだそうです。

 さて、源氏物語に所縁の場所として、どうして江戸時代につくられた「渉成園」が選ばれたのか。それは、この場所が光源氏のモデルの一人だと目されている源融の屋敷跡だったのではないかと長らく思われていたからなのです。事実、「渉成園」の名物のひとつとして「源融ゆかりの塔」という九重の石塔が今でも庭園の中にあります。残念ながら、最近の研究では、源融の屋敷「六条河原院」は別の場所にあったようなので、「渉成園」は源氏物語や紫式部とは関係がないようですね。

 「渉成園」の入口で一人500円の入園料を払うと、入場券の代わりにカラー印刷の豪華な冊子を手渡されました。その冊子の中にあったイラストマップの指示通りの順路で、私たちは「渉成園」の広大な庭の各所にある名物や景物を見て歩いたわけですが、最後に大きな池を一回りして芝生の広場に来た時に庭全体の景色が一望できて、改めて素晴らしい庭園だと感心しました。春や秋には更に美しいに違いありません。この庭は兼六園や栗林公園などの大名庭園ほどの規模ではありませんが、さすがに東本願寺の門主ともなると、大名並みの力があったのだなと関心しました。なお、「回棹廊」は「渉成園」の景色を代表するものだと思っていましたが、今回、これが明治になって再建されたもので、以前は、住吉大社の太鼓橋のような姿をしていたと初めて知りました。想像していたより小ぶりだったことを含めて、やはり実際に現地に来て観てみないとわかりませんね。

 今回、「渉成園」にある「園林堂」という建物が初公開されていました。ここは別料金ということでしたが、もう次の機会はないと思ったので、入ることにしました。まず、庭が一望できる大広間に案内されて、ここで女性の案内人の方から「渉成園」の歴史や見所を教えてもらいました。いままでに書いたのはそのお話をまとめたものです。その後、隠居した門主の持仏堂がある「園林堂」に通されました。狭い空間でしたが、仏間の周囲を何十枚もの棟方志功のふすま絵が囲む、不思議な空間でした。ここは撮影不可だったので写真はありません。

そして龍が我が家の玄関にやってきた

 京都から戻って、さっそく、東寺で買った龍のおみくじを玄関に飾りました。可愛い。おみくじは龍の体内に入っていますが、まだ見ません。昨年、兎の体内にあったおみくじは年末になって初めて出しました。大吉でした。さて、この可愛い龍の体内にあるおみくじは何でしょうか。年末までのお楽しみ。その頃にはもう、おみくじとしての役目は終わってしまっているわけですが。

 


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