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欲というのは底知れない。過ぎた欲は身を亡ぼすが、全くの無欲は生きていけない。

なんて、言いますけど。


言ってしまえば、使命感や慈愛の心とかいうやつだって、欲の親戚みたいなもので、「愛するあの人に何かをしてあげたい」も「世界が平和になりますように」も、自分に直接的な恩恵が帰ってきにくいだけで、そう思うこと自体が欲みたいなもんだろうとひねくれてみます。


だから欲に良いも悪いもないのだ、なんて言うつもりはなくて。欲にかられる経緯は様々あるでしょうけど、どこかで踏みとどまるための理性や物事の筋は学んだほうがいいですし、世界を破壊したいという征服欲と世界平和を望む欲を同じとは言えないということくらいはわかっちゃいるのです。


欲は一見、生物として生まれながらに備わっている働きのように見えます。実際そうした部分はありますが、一方でわたしたちは自分の内に湧き上がる欲をしばしば間違えてしまう。酒におぼれる人だって、最初は現実とか己のやるせなさを一時的にでも忘れたくてアルコールを使っていたのでしょうし、さびしさとか劣等感を埋めるために異常なほど物や食に走ったり、逆に遠ざけたりする話は珍しくもありません。


自分の欲求と正しく向き合って、現状を解決することが本当は欲求不満の最適解なんでしょうが、いつでもそう上手く気が付けるようなきれいな世界でもなければ、常に、そして即座に現実と向き合えるほど大概の人間は器用でも強くもありません。


今日だって、満腹の状態で夜の散歩に出て、立ち寄った本屋で棚を見ていたらなぜか腹が減ったのです。胃の中に昼のマクドナルドと夜のカレーは確実にいるのに、自分の内側で急激に飢えを感じて、それが実は食欲ではなく活字への欲(あるいは娯楽欲)だと気が付くのにかなりの時間を要しました。

自分の状態を常に正しく認識することができる人間などいるのだろうか。


群ようこの「おたがいさま」と貴志祐介の「我々は、みな孤独である」を無人レジに持ち込みます。アプリのポイント10倍クーポンを使おうとしたところで、スマホを忘れたことに気が付き、通常ポイントだけを貯めて退店。


2冊買ったのは、本当に活字欲を埋めたいからだったのでしょうか。それともポイントを貯めたかったからか。

そんなことをふいと思ったりしました。


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