私の思いつき 社会のかたちを空想してみた① ほぼ前置きで終わった

自己紹介もしてないけど、とりあえず書いてみる。

自分のバックボーンとかが何も伝わっていない状態だと、このノートの内容のニュアンスも伝わりにくいのではないかという懸念はある。

けど、そういうことを恐れずにできるだけ自分の思いを伝えるためにこういう場はあると思うし、読み手の受け取り方だって、そもそも私の手の届かないところなのだから、気にせず書いてみよう。

てかそもそも誰かが読んでくださるとは決まってない、読まれなくて当たり前、読んでくださったらラッキーくらいの感覚です。

まだ全然本題に入ってないあたり、既に自分の性格を表している気がする。笑
あれこれ考えるのが好きなのです。

さて、それでは本題。

私は、様々な要因が重なって今結構精神的に苦しいです。今までの人生で一番悩んでいて、一番苦しいです。そのことについては、またいつか書きます。

そして、その要因の1つにはこのコロナによる見通しのたたない社会の状況というものも大いにあります。
これからどうなるんだろうっていう漠然とした不安です。コロナによって健康が脅かされている方や、収入が失くなって苦しい状況の方がいらっしゃる中で、私は直接的に何も失っていないかもしれないけれど、それでも、どうしようもなく不安に襲われたり、自分の人生を必要以上に考え直してしまったりするのです。

だからこそ、自分を慰めるという意味が大きいのですが、こんな状況で見えてきた「こんな社会もありじゃない?」と思う1つの空想をここに書きたいと思います。

重ね重ねになりますが、このコロナの状況下で大変な思いをされている方が多くいらっしゃる中で、「コロナが終息したら、こんな世界になるかも!素敵じゃん!」というように、コロナを自分と無関係なものとして捉えたり、妙に楽観視するつもりはありません。

ただ、コロナがきっかけで社会について考えたときに思い付いたことを書き残す、という程度のものであるとご承知いただきたいです。

さて、コロナによる在宅勤務や休校で家にいる時間が増えた方が多い世の中。住宅街では、庭でBBQをしたり、公園を散歩したりする方の姿が見られます。また、オンライン飲みが流行っているように、オンラインでの友人や恋人との交流も盛んです。

緊張感漂う社会で、家の中や公園などで時間を過ごす方々は、確かに制限された暮らしを送ってはいるけれども、不思議と穏やかで生き生きとしているように見えます。

満員電車に揺られて仕事に向かい、家で家族と過ごす時間がなかった日々
学校や塾に追われて、家族と話す時間がなかった日々
相談したいことも無駄話も、友人や恋人と満足にできなかった日々

そんな日々よりも、今の方が大変かもしれないけど、その一方で人間として自然な時間を過ごせているかもしれない

そう感じている方が、案外多いのではないかと私は思います。

仕事や学業を全くしないわけじゃないけど、その時間が少し減ったり、あるいはそれ自体減っていなくても移動の時間などが減ったり

もしかしたら、というかほぼ確実に、その分の成果は少し減っているかもしれない
仕事の生産性は落ちているかもしれないし、個人単位で落ちていなくても会社としては落ちてるかもしれないし、勉強だって学校にいるときほどは進んでないかもしれない

けれどそうして生まれた時間を、心が求めていたことに使う

そんな日々も悪くないと、社会が思い始めている気がしてならない。あわよくば、こんな暮らしが続けばなーなんて。

この暮らしが続いたら、あるいは続けるためには、かもしれないですが、こんな社会になるのかな、なったら素敵だなという本題の本題を次に書きますね。

こんなに長くなると思わなかった、いかんせん初めてなもので…
それではまた…

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