送る宛のない恋文もどき

ここ数年、これを抱えて生きています。
もっと楽しく生きられたらいいんですけども。


好きな人が居た。多分人生の半分以上好きだった。だったというか今も好き。
でもこの好きはもう、止めてしまいたいのだ。

私には親友と思っていた人が居た。今は好きになりすぎたくなくて飛び抜けた親友というカテゴリーから友人に引っ込めるのに必死だ。
私は相手と、彼女と同じ気持ちだとずっと思っていた。ただ、それが私だけのものだったと思い知ったのがここ最近。

彼女は誰に対してもフラットなのだと思う。友人は皆等しく友人で、誘いを受けたら基本的に断らない。誘いを受けやすい人だと私から見て思う。人から何か物事に誘われやすい、すごく羨ましくて、彼女のいいところ。

私にはそれが受け入れられなかった。それすらも気にしないで自分が満足していればそれで良いと言いきれてしまえばどれほど良かっただろう。
私は人間関係が狭く、相手を「特別」にしたいタイプの人間。彼女はきっと違うタイプの人間。それで済ませられればどれ程。

ああ、こうしている間にも彼女を好きだと思った瞬間を思い出す。

幼少期、よく一緒にゲームをして過ごしていた。彼女がゲームを進めて私がそれを横から見ている。大切な思い出だ。

私は小学生3年生辺りまであまり自我が無かったというか、皆がやるからその習い事をして、皆が読んでいるから同じ漫画雑誌やゲームを買っていた。

正直、彼女がゲームをしているのを最初のうちはぼんやり眺めていただけだったのだと思う。

私は起こっていることを臆面通りにしか受け入れられなかった(発達が遅れていたことも関係あるのかもしれない)。しかし彼女は今ゲーム画面で起こってはいない登場人物の心情や物語の背景を予測して、話してくれた。いわゆる考察や想像力をめぐらせた発言だった。

何を言われたかは鮮明には思い出せないが私はとても驚いて、感動したことだけを覚えている。「人はそんなことが考えられるのか」という「気付き」のはじめてを彼女に貰ったのだ。

そして尊敬にも似た好意を向けた彼女に、無意識で嫌われないようにしていたのだと思う。もうずっと。
私の「特別」にされた彼女をそれはもう大切にした。誕生日は特別お祝いの気持ちを強く込めて、それでいて何となく「特別」が苦手そうな彼女の負担にならないように冷静ぶって。
察してはいたのだ。彼女が関係性に形を作ることをあまり好まないことを。だってもうずっと見て、考えていたのだから。

彼女は自分自身の話をあまりしなかった。私が知らない辛かった時期があったことも。彼氏がいたことも。
私は嫉妬した。私が彼女にあてた時間がから回っていたような、その分が知らない奴に吸われているような感覚になった。
きっと私が別なことに夢中になっている時に、彼女は人間としての一般的な営みをしていたのだ。その事実に酷く気後れして、置いていかれたような気持ちになって、焦った。

その時に自分の、彼女への気持ちの大きさや重さに気がついたのだ。

尊敬、嫉妬、恋慕のような、たくさんの矢印を向けている。

こんなに気持ちを抱えているのが怖い。この気持ち達がこぼれた時に今の関係が崩れ去ってしまうのではないかと。
せめて友人ではいて欲しくて、目の前からいなくなって欲しくは無い。だから思いの丈の全てをぶつけられない。

結局まだ嫌われるのを怖がっている。

今年も互いの誕生日を祝い、祝われた。

そうやって嬉しいことを共有していたいのに。
どうしてこんなにも不器用に気持ちを育ててしまったのだろう。

苦しい、助けて欲しい。

楽しいのに、楽じゃない。

妙なプライドが、チープなひとつの恋話のようであることを悔しがっている。




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