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百聞は一見にしかず

安田純平さんが講演会をやるというので、行ってきました。

わたしが中東に興味を持ったのは、2012年にヨルダンとイスラエルを旅行した時です。

それまで知識ゼロだった中東は、空港に降り立った瞬間からわたしの心を掴みました。

本当に本当に素晴らしいところでした。

その後ヨーロッパ方面やアメリカ方面も行きましたが、文化も人も食事もやはり、わたしの中ではいまもダントツで中東が好きです。

子どもの頃から中東はイランイラク戦争、あるいはテロリストのイメージが強かったですが、実際に行くと一瞬にしてそれがニュースによる著しく偏った報道であることがわかりました。

2012年、わたしはすっかり中東に魅了され、同時になぜこんなに長い間、この素晴らしい地は戦争のイメージが強いのかという大いなる疑問がわきました。

そしてSNSで調べているうちに、安田純平さんというジャーナリストを知り、Twitterをフォローし始めました。

彼が拘束されたとき、その前年に後藤さんという日本人ジャーナリストが犠牲になっていたこともあり、わたしは赤の他人なのに、とても他人事と思えずものすごく心配してしまいました。

それから三年半、今年になって解放されたというニュースを聞いたときは心からうれしかったです。

きっと帰ってくると信じてTwitterをフォローし続けていて本当によかったと思いました。

初めて直接目撃する安田さんは品性のある人、という印象でした。

正直そうだな、とも思いました。

解放については様々な報道がされていますが、御本人の率直な話しを聞くと、その大部分が真偽不明であることもわかりました。

そこらへんの詳しいことは他の媒体に任せて、わたしが心に残ったことを書きたいと思います。

「ジャーナリスト」という仕事とは何か、というテーマについてアジアプレスの野中さんという方の言葉がとても納得でした。

戦場ジャーナリストに向けられがちな批判としてよくあるのが

・なぜそんな危険な場所に行くのか。

・なぜ安全を確保しないのか。

・外務省の渡航禁止区域に従わないのはなぜか。

というようなものであるが、それらはすべてジャーナリストの仕事を知らない無知な人間が放つ「単なる感想」であり、批判にすらならない。

そもそもジャーナリズムとは、権力の監視である。

そして戦争こそ、この地球上における最大の不条理であり、この矛盾を取材して報道することがジャーナリストとしての使命である。

ジャーナリズムとは「事実を明らかにすること」である。

そのために、不法入国をするのは当たり前である。

・・・なるほどなと思いました。

なぜなら戦地とは通常では入国することができないので、入国管理を無視して入るしかないわけです、だから隣国から不法入国する方法だけが、戦地に到達する唯一のやり方です。

そこで法を破ることの意義が問われるわけですが、そもそも戦争を起こしてるのは権力であり、その強権的政府を支えているのが法であるから、権力を監視することが仕事のジャーナリストが必要に応じて法を無視することは仕事のうちであるわけです。

戦争とは社会の最大の不条理であり、その事実を明らかにして伝えることが報道の仕事であるからこそ個人的な欲望のためなどではなく、ある種の大義名分のためにあえて法を無視する、わたしにはそれも立派な正義のかたちであり、大変に理にかなっているとおもわれました。

そしてそのような監視の力が無いと、権力とはどこまででも肥大化腐敗し、結局は民衆であるわたしたち自身が被害を受けることになるのです。

それを抑止し、また民衆に正確な情報を回し、社会のトップに立つ施政者がふさわしいものであるかどうかを判断するに役立つ音声や映像を獲得してくるのが、ジャーナリストたちなわけです。

だから安田さんに対しての一般人から発せられる安易な「自己責任論」は、めぐりめぐって自分たちの首を絞める結果となります。

その価値を、その存在の重要性を理解してる人は、安田さんを守ろうとするわけです。

わたしももちろん、そこに加わりたいと思っています。

正直言ってわたしはいまだに右翼も左翼もわからないし、保守もリベラルもわからないし、そもそもそういうカテゴライズ自体にうっとうしさを感じるくらいで、わたしはどこにも属すつもりはないです。

自分にとって何が自然かという肌感覚だけが大事です。

全体が良くなるために一人ひとりができることはそれぞれですが、その人がなぜそれをするのかという原因に意識を向けないと、的外れな批判、あるいは盲目的な支持になり、社会はますます大混乱に陥ります。

自分の役目を理解し、全体の中での位置付けを把握して、世界が良くなるために動くことが、天の道なのだと思います。

「自分の頭で考える」「自分の意見を持つ」という当たり前のことができない人がなんて多いのかと、憂鬱感すら感じます。

生きやすい自分を模索すると、勝手に道はできてきます。

理想の仕事を探すのではなく、生きやすい自分を追求した結果その仕事をやることになった、というのが本来の自然な人生の流れだと思います。

いまの小学校中学校高校大学就職という一連の流れは、自分の意見を封じ込めて完全に奴隷生産を目的とした地獄のレーンになっていますが、そこから変えていかないと、この世の地獄化は止まらない気がします。

誰にも無限の可能性があるという原点に戻るように、いつも心がけていたいです。

#日記 #エッセイ #中東問題 #安田純平さん #ジャーナリズム




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