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セーターと思い出 その1

いよいよ寒くなってきた。そろそろセーターを出そうかなぁと考えた。

わたしの持っている一番良いセーターは、白い毛糸のセーターである。品川の駅ビルで買ったセーターで、なんと値段は2万円もする。

いつもなら、そんな値段のセーターを買うはずがない。しかしどうしてだか、その時はそのセーターがとても気になってしまった。そして、えいやっと舞台から飛び降りるような気持ちで、買ったものである。

北欧の国で作られたセーターらしく、厚さが1cmほど。着れば、中はぬっくぬくである。

とは言え、そんな分厚いセーターを着るほどの寒さではない。このセーターの出番は、しばらく後になるだろう。


このセーターについては、思い出が2つある。

1つは、セーターを着る前の話。
もう1つは、猫の関わるドタバタ劇。

今日は、セーターを着る前のお話です。



セーターを買った日。わたしはどきどきしながら、家に帰って来た。

実は、その日はもう暖かくなって来た頃で、分厚いセーターを着る季節ではなかった。

「楽しみは、来年だな」

そう言って、セーターを袋から出して、たんすの奥にしまい込んだ。


この何気ない行為が、後に悲劇を生んだ。


次の年、寒さがいよいよ本格的になってきて、わたしはあのセーターを出そうと、たんすを思い切り開けた。

ビッと、嫌な音がした。

一旦たんすを閉めて、今度はゆっくりたんすを開ける。そうすれば、何事もなかったことになるかのように。

何事もない、わけがなかった。

セーターの前身頃の真ん中、どうしたって隠せない位置の毛糸が、ぐにゃんとほつれていた。

わたしは真っ青になった。2万円もして買ったのである。一年間、この季節を楽しみに待っていたのだ。

それが、一回着る前から、たんすに引っ掛けて、ほつれてしまった。

ショックのあまり、わたしは見なかった振りをして、セーターをたんすの奥に戻した。今度は、引っ掛けないように、袋に閉まってから、たんすに納めた。


それから2年。
冬が来るたびに、わたしは「ああ、あのセーターをほつれさせてしまった」と後悔しては、すべて無かったことにしようと、セーターの存在を心から追い出した。

しかし、どうしてもあのセーターを着たい時期がやって来た。昨年、福岡に引っ越して最初の冬である。

「この地域の家は、夏仕様につくるのよ」

そう聞かされていた家は、夏は風が通って非常に気持ちがよい。

が、冬となると、その様子は一変した。

折しも、昨年の冬は異常だった。北陸の大雪。富山生まれのわたしにしても、北陸のドカ雪は生まれてはじめての様子だったし、雪が降らないと言われた福岡にも雪が積もった。

つまり、寒かった。

一日中家にいる在宅ワーカーのわたし。暖房をつけても、少し廊下に出れば冷たい風。たまらない。温もりが欲しい。

そうだ、あのセーターを出そう。幸い在宅ワーカーなので、だれに見られる心配もない。ほつれていても大丈夫だろう。

そう思い、たんすの奥からほつれたセーターを引っ張りだした。珍しい服を着て来たわたしを見て、夫が声をかけてきた。

「どうしたの、それ」
「いや、ここがほつれてしまって……」

夫はじっとセーターを見たかと思うと、

「ちょっと貸してごらん」

と言った。

戸棚から裁縫セットを出す夫にセーターを渡しながら、わたしは考えた。

わたしの夫は、手先が器用だ。ぐちゃぐちゃに絡まってしまったネックレスの紐も、夫にかかればするりと元通り。

とはいえ、夫が編み物ができるなどという話は、見たことも聞いたこともない。さすがにこのセーターは直せないだろう。

そんなわたしの考えを知ってか知らずか、夫は「えー」とか「よっ」とか言って、手元をごそごそ動かして、最後に「ほら」とセーターを渡して来た。

ほつれがない……!

「どどどどどうやって」
「なんか、テレビでやってたから、出来るかなと思って」

よかった。そのテレビを見ていたのが、わたしではなく、夫でよかった。もし見ていたのがわたしだけだったならば、その視聴時間を生かせないまま、それどころか、更にセーターを台無しにしていたことだろう。

こうして、夫のおかげで、ほつれていたセーターは復活した。

しかし、その2ヶ月後。夫が原因で、そのセーターが更なる事件に巻き込まれることを、当時のわたしは、知る由もなかった。


(長くなったので、)明日に続く。

#日記
#エッセイ
#セーターと思い出

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