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4歳のときには強迫症だった

強迫症・強迫性障害・強迫神経症。
手洗い強迫(ウォッシャー)や、鍵・ガスの元栓閉めなどの確認強迫(チェッカー)がよく知られている。
脅迫とは違う。追い詰める対象は自分自身。
ほんとうに確認したのか?確認したと思っているのは自分に都合の良いいい加減な考えからではないのか?と、しつこくしつこく自分を責め立てる。
ほんとうに綺麗に洗ったのか?手順通りに洗ったのか?確認しながら洗っても、途中でちょっと何かに触ったら、ちょっと中断したら、やり直さなければならない。

物心ついたときにはウォッシャーだった。遅くとも、4歳のときには。
母は図書館で絵本を借りてくれたが、渡すときには必ず詳しく脅した。図書館など公共の物品には赤痢菌がついている。赤痢とは…その症状は…。だから、本を読む前後には必ず綺麗に手を洗うように、と。親としては必要な躾だったのだろう。しかし4歳児にとっては、そんな恐ろしい品物を入れた母の手提げ袋や、本を置いたテーブル、水道の蛇口も目に見えない赤痢菌に汚染されているのだった。
手を洗っても洗っても、見えない赤痢菌は安心させてはくれない。
泣きながら手を洗って、気が済むまで洗ったら本自体は触ってもいい物になった。読み終わったら、また、手が冷たくふやけても洗わずにはいられないのだけれど。

保育園年長組の頃だったか、母が説明してくれた。人間は、酸素を吸って炭酸ガスを吐き出しているのだと。それを聞いた頃から、呼気と吸気を意識して交互に行うようになった。常に、息を怠ってはいけない。
もちろん無意識に呼吸している時間の方が多いのだが、ハッと気がつくと、呼気・吸気・呼気…と意識的に行うのだった。

怖いのは夜だった。
眠っている間に、間違えて炭酸ガスを吸って酸素を吐いてしまったら死んでしまう。だから寝るわけにはいかないと泣き叫んで一家全員の眠りを妨げた。心臓すらも意識的に動かしていると思っていた。知らされるまでは、意図せずに無意識に呼吸も拍動も行えていたはずなのにと辛かった。実際には忘れている時間の方が多かっただろうけれども。
親はたまりかねて、問題のある子だからと児童相談室に連れて行った。知能検査の結果、遅れはなく、5歳だったが小学校2年生レベルの知能だったらしい。
今なら、定型発達でないとなり、なんらかの発達障害と診断されるかもしれないが、当時は、「遅れがなくてよかったですね。精神不安定ではありますが」となったらしい。自分に定義づけられた「セイシンフアンテイ」という言葉を覚えた5歳児だった。

強迫症には波があった。大学は県外に行かせてもらったので下宿で、火の不始末や施錠が心配でチェッカーになった。出かけるまでの確認には40分を要した。教職課程の科目は1限目に集中しており、教職の単位は落としてしまった。

ウォッシャーを克服したのは第一子出産後だった。新生児の世話を汚れた手で行ってはならないと洗いまくり、8月だというのにアカギレだらけのガサガサの手になった。傷のある手には黄色ブドウ球菌が繁殖する。その一点で、ポロリと、ウォッシャーが落ちた。

以後は、チェッカーと強迫観念の二頭立てだ。
15年前に、どうにも苦しくなり、専門医にかかった。
生きるのが、かなり楽になった。
ときどき、ひどく疲れたときに強迫が盛り返してくる。
医師に指南されたように、予兆を感じると教えられた手順で対処を行う。

強迫症も含めて私自身だけれども、対処のやり方を教わってからは、身近な人たち:特に私自身の子ども達にかけていた負荷が、多少なりとも軽減されたのではないだろうか。

私の母親は、相変わらず強迫観念の負荷を私にかけてくる。
私の仕事が休みだとわかっている日に電話をかけてきて、「今日は仕事には行かないの?」と言ってきたりする。「日曜日で休みだけど?」と答えると、「そうなの?」と疑わしげな口調で問いかける。そのために、私は職場に行ってみたこともある。

強迫症は苦しいけれども、4歳の時から強迫症だと、それも含めて私自身だと言うしかない。
しかしながら、もともとの強迫症は、母であり、私は母の心配を軽減するために、強迫症をうつされたのかもしれないと、心の奥底では勘繰っている。

4年前からの、世界中の強迫症状態は、半世紀以上強迫症をやっている私からすると、脇が甘い。

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