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解熱剤にまつわる思い出

もう、四半世紀前のことになる。
転勤族のために双方の実家と離れて暮らしていたため、GWやお盆、年末年始は、ひと月も前になれば双方の実家から「いつ帰る」と具体的な日付を問う電話がひっきりなしにかかってきた。幼児2人のいる転勤族の核家族での生活は気の休まる暇などない。はっきり言って連休の帰省のことばかり考えて生活しているわけではないのだ。楽しみにしてくれることをありがたいと思うべきだと自分を叱りながら、本音はいい加減にしてほしかった。
こちらとて、普段せいいっぱい日常の生活をしているのだ。連休、夫の仕事がほんとうに休みになるのかどうかもそのときにならなければわからないのだ。納期を連休明けすぐに設定されれば(誰も自分が連休休みたくて、そういうスケジュールを指定してくることはよくある)むしろ普段よりも忙しくなる。

春とはいえ気候がまだ安定しないGW、酷暑のお盆、冬場の年末年始。混雑する中での大移動。

幼児は、少なくとも月に1度は熱を出す。
まして、気候が厳しいときや、スケジュールに余裕がないとき、日常と違った行事に対応するときなどは体調を崩しやすい。
帰省とは、懐かしい人達に会えることと緊張の連続が表裏一体のイベントだった。
そして、特に上の子は帰省の度に必ず高い熱を出すのだった。

ある年末年始の帰省。1月2日だったか…。
私の実家で、上の子は39度を超す高熱を出した。
心配した実母は急いで、開いていた薬屋に走り、座薬の解熱剤を買ってきた。田舎の顔見知りばかりの地域だから、開けてもらったのかもしれない。

実母は情が深いけれども待てない人で、また、座薬の信奉者だったから、すぐに使えと言った。座薬なら害は一切ない。自分は以前医者からそう聞いた。さあ早く!と。
座薬とは、単なる剤形であり、薬効成分は血管に吸収されるのだから、座薬なら害は一切ないと言い切れる根拠にはならないと思うのだが。

むやみと解熱剤を使って熱を下げることの危険が知られ始めていた。
ジクロフェナクナトリウムやメフェナム酸を幼児には使わないように、とか。
発熱後の脳症には、解熱剤との相互作用で起こるものもあるとか。
核家族の新米母で、育児書を頼りに子育てしている頭でっかちな私は、実母の感情を刺激した。
すぐに使おうとせず、様子をみている私を実母はののしり、「あんたとは合わない!もう帰ってくるな!」と言った。


その後、躊躇する私に実母は「いつまで根に持つのか!」と言って寄越し、また行き来するようになったのではあるが…。

実はそのとき、実母に対して、熱を出している私の上の子が抗議したのだそうだ。
「ぼくのお母さんを怒らないで!」と。
実母は今もそのことを話す。「娘の差し金で孫に会わせてもらえなくなる!」と怯えたのだと(子どもは私の所有物ではないのだ。私はそんなことは思いつきもしない)。

今日、この記事を読み、とても身近な、味方であり同志であるはずの身内の言葉で解熱剤を使わざるを得なくなるときの気持ちを思い出した。

思い出したら、それを書くことで、そのときの私の気持ちを慰めてやりたくなった。

ここ3年、発熱や感染症に非常に過敏になっている社会だが、
それまでは、あまり発熱しない丈夫な人が大多数だったのだろうか。

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