見出し画像

別にいくらでも落ち込んでもいいと思う。

なんだか、落ち込んだらマイナスとか、キレたらおしまいみたいなのは、一理でしかないと思う。だから、そんなものに囚われてないで、そういう時の自分のあり方を確立する方がいいと思うんだ。

落ち込む機会あったら、それを利用してどんどん落ち込む

下がるだけ、下がれるだけ、下がってみてもいいかもよ。        そうなればそうなるだけ染みるものがあるとすると、そこからどんどん幅を利かせられると思う。

ただ下がるだけだとメンヘラみたいになっちゃうんだけど、それが痛気持ちいいくらいに感じられるコツとそこから上がるツテを自分なりに知っておくとすごい楽になるんだと思う。自分の場合、下がるだけ下がるようにしてんだけど、そういう時に限って、なんか些細なことが楽しく感じたり、何となく物事を深く考えられたり、他にぶつけられたりと、そういう時にこそ見える景色とかきっかけがたくさんあると思ってる。だから、とことんトコトコ落ち込む。

逆に、一度上がってしまうとそれ以上に上げようとして体力を使ったり、維持するのにも疲れることもある。てか、自分は確実にそう。
だとすると、緩くニュートラル保ってて、たまに下がって、また戻ってくるくらいか丁度いいんじゃないかと思う。

過信、傲慢、高飛車は論外

誇示するのは嫌いで誇示されるのはもっと嫌い。
だからそもそもあんまり言葉って要らないとも思ったりする。      言葉って後付けでどうにも変更が可能だし、それだけのバッファを含んでたりする。

言葉って考えなくても幾らでも出てくるけど、幾らでも出てくるから、ワケがわかんなくて詮索やら過信だったり色々煩いんだと思う。

それとは反対に、振る舞いとか態度の引き出しって人によりけると思うし、
言葉を理性とするなら行動は本能だと思う。大事なのは行動であって、言葉よりも影響が多い。その人の人となりがそこには現れるから。

また雰囲気もそうだけど、雰囲気っていうけど、雰囲気って、言葉より動きに依拠すると思う。やっぱり言葉って何とでもなるから、そうじゃなくて、行動はその言葉を自分が体感して初めて得るものだから、そこを大事にするべきだと思うんです。

だから、口だけの自称イケてる、自分だけがイケてる思ってる、そういう表向きの姿にしか惹かれない、見ることはできない低脳な人たちとは、自分から離れていきたいと思う。いつまでも同系色はこりごりである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?