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25.北極での再会

・大場さんバンザーイ 

PM11:00・・・・ ツインオッター機内にて

5月18日午前8時30分、レゾリュートのモレックさんにダッグ機長が電話で、現地の天候を聞いた。曇っていてあまりよくないらしい。出発の判断はでない。午前9時になり、40分後に飛び立つ指示を受ける。ようやく出発できる。テリーさんに作ってもらったステーキ、お湯等、忘れ物のないよう確認。昨日機内より降ろした食料・そり等すべて積み込み、10時20分テイクオフ(離陸)。一路大場さんのいる北緯87度57分を目指す。ユーレイカは北緯80度。約8度飛ぶ事になる。1度は約110㎞なので、870㎞の飛行だ。時間にすると約4時間半。現場着は午後2時過ぎと思われる。

13時25分に機長より、あと20分で現場に着くと言われ、トランシーバーでの呼び出しを始める。

「大場さん聞こえますか」何度も呼びかける。

呼び始めて10分経っても20分経っても応答がない。いやな予感がする。すでに補給要請の小アルゴスが発信されてから8日目だ。昨日の夜、私がダッグ機長に「大場さんはもう数日前から食糧がなくなっていると思う」と言うとダッグ機長から「誰でも死んでしまうけど、そういう状態での最後はいやだね」と言われたことを思い出し、テントの中で動けないでいる大場さんを想像してしまった。

天候はいい。着陸は十分できる。大場さんが元気なら補給準備は万全だ。なぜトランシーバーに返事がないのだろう。何度も何度も呼びかけた。もう到着時刻を5分過ぎている。トランシーバーの呼び出しを一時止め、飛行機の窓に顔を寄せ、大場さんのテントを捜す。(後でわかったが、大場さんは荷を軽くするためトランシーバーを捨てていた。)

「あった。」

13時55分、進行方向右手にテントを発見。小さくてよく分からなかったが、人が動いているのも見えたような気がした。旋回を始める。何度も何度もぐるぐる回る。今度は近くに見えた。テントの脇で大場さんは、横に手を上げて振っている。赤いパーカーだ。安心した。少なくとも立って動いているし、元気なようだ。

すぐ着陸するのかと思っていると、なかなか着陸しない。15分経ち、20分が経過する。その間に2度程、大場さんを確認。14時20分、ツインオッター機は着陸体勢に入る。スピードが落ちて車輪代わりスキーが雪に着く。次の瞬間パワーが入りすぐ飛び上がる。

ツインオッター機が氷面に近づいた時、左右両側を見ても大場さんは見えない。又降りる。すぐ飛び上がる。着陸のために、氷面の上に積もった雪の深さを確認し、雪を固めているのだ。3度目、スピードがぐっと落ちる。大きく何度かバウンドした。プロペラは逆ピッチでブレーキがかかる。

着陸した路面はあまり良くない。エンジンが止まった。周りを見たが大場さんはいない。前回補給時と同じように、大場さんと離れた場所に着陸した事にようやく気づく。機長は、大場さんは1.2マイル(約1.8㎞)離れたところにいると言う。今日の見晴らしなら迎えに行ける。リュック中の自分の物を全て出し、お湯・カップヌードル・ステーキ・果物等を詰め、大場さんのいる方向を聞く。太陽を背にし、ちょっと左の方だ。

時計を見る。午後2時35分。1.8㎞なら30分から40分で大場さんに会えるだろう。方向を間違えないように、時々歩いてきた足跡を振り返りながら、一目散に歩く。400m程歩くと、リード(氷の割れ目)に出会った。水の色が、腐った沼の色のようで気持が悪い。低いところを歩くと雪がたまっていて、膝位まで入ってしまう。リードが雪で見えない事もあるので、できるだけ高い部分を歩く。だんだん足が重くなり、ハアハア息があがってしまう。

600m位歩いた時、遠くに人影が見えた。うれしくなり「大場さ~ん」と大きな声で呼んでみた。遠すぎて声は届かない。どんどん歩いて行くと、赤いパーカーが確認できるような距離になり、スキーをはいて歩いてくるのが見えるようになり、そしてようやく顔が見えた。

私は「大場さ~ん」と声をかけた。

大場さんは、畑の中で仕事をしていて友達に声をかけられたような感じで
「あれ志賀さん来てくれたんだ」と言った。あっけない再会だった。大場さんと再会するのは2月10日、大場さんが日本を出発してから、90日以上経っている。あの時のまんまだ。

一番気になっていた大場さんの鼻を見た。鼻はちょっと黒いが裂けてはいない。「鼻大丈夫ですか」と私が聞くと、大場さんは「治ったよ。あの薬効くから」とあっけない返事。ファーストエアー社のパイロットの話「鼻がめくれている」のはどうしちゃったんだろう。どちらにしても良く見たが、本当に大丈夫だった。

私は座って「何かたべますか?お湯とカップヌードルを持ってきたので」と言うと大場さんは

 「いや4日間、ほとんどお湯と塩だけなので、急に食べると腹をこわすから後でゆっくり」と言う。続けて「前に断食したことがあるけれど、あれと同じで、2日目位が一番空腹で、その後は楽になるんだ」とのんきな話をしていた。

「それより、ソリは持ってきた?」「食糧は?」と歩きながらの話が始まった。ソリは既に前回補給時にはなかったらしい。大場さんは「リュックだけで歩いていたので、1日30㎞歩けた。でもいろいろな物が持てないんで、ソリと食糧があればバンバンだよ」とも言っていた。

私は続行するかどうかを心配していたが、大場さんはやめる事は全く考えていない様子。飛行機の所へ戻り、とりあえず旗を持っての撮影とインタビューに応じてもらった。その間に私は梱包してあるダンボールのロープを切り、補給品のチェックを始める。ほとんどの物を大場さんは必要とした。中でも、無線機・ゴムボート等が今後の冒険に役立つ新しい武器だ。

この頃ようやく気持が落ち着いてきた。全ての補給が終り、機長を捜したが、滑走路のチェックをしていた。時間があるので記念写真をとった。ホッとした。大場さんはすごい。昨日は遺書を書いたと言うが、今日のあの明るさ、冷静さは全く信じられない。全てのストレスが吹っ飛び、北極の氷の上を1.5㎞歩いた足でツインオッター機のタラップを登った。

窓から見ると大場さんは、補給されたデジタルビデオで私たちを撮影していた。

「大場さん バンザーイ」と叫びたい気持だった。

※日本に帰国してから聞いた話だが、この時大場さんは補給機が来たら横断挑戦を中止し、ピックアップしてもらう事を考えていたと言う。それが、続行する気持になったのは、大場さんが予想以上の十分な補給物資を得た事と現地サポーターとして、最後まで私がレゾリュートに残る事を決断したのを聞き、気持が変わったのだった。その事を聞いたとき、私がベースキャンプでずっと考えていた「横断中止が補給体制や資金不足が原因とは絶対にしない。やめるとすれば、大場さんが『中止を望む』時だけ」という私の信念をまっとうできたのを感じることができ、うれしかった。


・補給時(3回目)の大場さんの状態・・・・


1 大場さんに今回補給した物は別紙のとおり

2 大場さんの健康状態
  イ 鼻 傷跡見えず、やや全体的に黒い
  ロ 4日間ほとんど食事らしい物はなく、水・塩・他少々
  ハ 1.8㎞をスキーで歩く体力を残していた

3 今回補給時に残っていたと確認できたもの
テント・寝袋・コンロ・燃料・ポット・中、小アルゴス
その他は確認できず

なくなっていたもの
ソリ・ハーネス・ロープ・無線機(予備バッテリー)
トランシーバー・サングラス・ゴーグル・食糧

4 今後について
横断を続行する。
無線機テスト 19日夜9時若しくは夜10時、又は20日朝9時
新アルゴス 夜歩き終わったら2時間メッセージを出す。
補給時18日午後4時には、メッセージ00でスイッチONにした。

食糧は約3週間分を手渡すが補給については大場さんの指示で実行。2週間後のフライト予約を希望していた。中アルゴス若しくは小アルゴスは継続して持ち、ずっと電波を出す予定。電池の心配をしていた。

5 大場さんからの伝言

イーパブ発信(緊急信号)については、皆に謝っておいてくれ。
小アルゴスが出ていないのではないかと心配だった。

光文社山本さんへ 
詩を何度も読んでいます。皆さんに宜しくお伝え下さい。

最上中学校からのメッセージも何度も読んだ。頑張るよと伝えてほしい。

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大場オフィスとなった私の部屋の壁に貼られた手作りの地図

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