いわき万本桜プロジェクト

いわき万本桜プロジェクト

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  • 蔡國強といわき

    「この土地で作品を育てる ここから宇宙と対話する ここの人々と一緒に時代の物語を作る」 現代アジアを代表するアーティスト蔡國強さんが1994年に発表したインスタレーション「地平線プロジェクト」にかかげた言葉です。その言葉どおり、蔡さんはいわきの人と出会い、友情を育み、ともに作品を作り、作品とともに旅を続けてきました。2011年、東日本大震災をきっかけにスタートした「いわき万本桜プロジェクト」の運営にも貢献しています。30年にわたるいわきの友人・志賀忠重(いわき万本桜プロジェクト代表)のよる交流の記録です。

  • 志賀忠重自叙伝【幼少から30代前半まで】

    いわき万本桜プロジェクトを手掛ける志賀忠重の半生記。のびのびと野山を駆け回った忠重少年は、大人になっても少年のように人生の夢を追い続けた。空に魅了されて小型飛行機を繰り、サラリーマン生活をドロップアウトして山にこもる。DIYで家を作り、自給自足の生活を営んだ青年期までを綴る。

  • 志賀忠重北極ベースキャンプ日記

    1997年6月23日、山形県出身の冒険家大場満郎さんは、人類初・北極海単独徒歩横断の記録を樹立しました。ロシアからカナダへ凍結した北極海をわたる約2000キロの旅――。3か月に及んだ大場さんの冒険々を支えたのが、のちにいわき万本桜プロジェクトを立ち上げた著者・志賀忠重です。北極に対する何の知識も経験もなかった“冒険の素人”志賀がどのように大場さんをサポートしたのか。幾多の困難に遭遇し、ときに自らの弱さをむき出しにしながら歩き続ける大場さん。志賀は通信手段が限られている中、わずかな情報を頼りに状況を見極めなければなりません。常に危険と隣り合わせでしたが、志賀は大場さんがどうすれば気持ちよく冒険に集中できるか考え、メッセージを送り続けたのです。 軽やかながらも深い絆で結ばれた二人の出会いの奇跡の物語。 志賀の当時の日誌をそのまま公開します。

最近の記事

25.いわきからの贈り物 2004年・カナダ編

■廃船組立て打合せ 2006.06.04   ホテルのオーナーの好意で車で送られて美術館へ行くが、休みのため中へ入れない。帰りは歩いてホテルへ戻る。きれいな町だ。行きあう町の人々は目が会うと誰もがニコッとほほえむ。とても良い感じだ。 川の脇を歩くとカヌーを楽しむ人、カップルでローラースケートをする人、家族でサイクリングをする人、カナダの6月の天気を満喫している。 ホテルまで歩いて40分間何個かの丘を越えて良い運動になった。いわきのチームのみんなは、時差もありほとんどが

    • 24.いわきからの贈り物 2004年・カナダ編

      ■いわきの廃船、カナダでよみがえる 引き上げられた廃船はワシントンD.Cスミソニアン美術館へ送られた Photo:Yoshio.Kanno 2004年3月、いわき市の海岸から1隻の廃船を掘り起こした。世界的現代美術アーテイスト蔡國強氏からの依頼によるものだった。廃船を引き上げ、蔡氏に贈るためにプロジェクトチームが結成される。 チーム名は「いわきからの贈り物プロジェクト」。十数年前、蔡氏がまだ無名近かったころ、いわき市立美術館で「地平線プロジェクト」と題し、作品を発表

      • 34.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(11)

        ■プロジェクトを終えて 苦労の末仕上がった作品「いわきからの贈り物」 ■いわきチームからのお礼の手紙蔡國強様 呉様 蔡スタジオスタッフ様 ニースでは大変お世話になりました。蔡さんや奥さんの呉さん、蔡スタジオスタッフ様のお陰で、今回も楽しく有意義な時間を過ごす事ができました。日本時間の13日(日曜日)午前7時頃成田空港に到着し、いわきへは午前11時ころ全員無事帰りました。(真木さんは東京です。)組立て作業は最後バタバタしましたが、ほとんど残業をせず余裕をもって仕事を行う事

        • 33.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(10)

          ■最後はいつもうまくいく!! 美術館の屋上は円形になっていた     屋上からの夜景 2010. 06.11 蔡さんの個展当日である。 前夜遅くまで苦戦して組み上げた廃船の前に立ってみる。そこには昨日、遅くまでかけて皆で作り上げた苦労の影も、腰の痛みを我慢して積み上げながらも何度も何度も崩れたあのセラミックの山の様子は感じられず、完成された一つの作品として、私たちの前にそびえ立っていた。 もう船の上に上る事も触る事もできない。厳かな「いわきからの贈り物」とい

        25.いわきからの贈り物 2004年・カナダ編

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        • 蔡國強といわき
          37本
        • 志賀忠重自叙伝【幼少から30代前半まで】
          11本
        • 志賀忠重北極ベースキャンプ日記
          42本

        記事

          32.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(9)

          ■蔡さんと呉さんが言い争う? 「水夫はいつもご飯を待っている・・・」と書いて 昼食を待つ我々を笑わせる蔡さん 2010. 06.10 明日はいよいよ蔡さんの個展のオープニングの日である。 「いわきからの贈り物」の写真が入った大ポスターは、美術館の壁面を覆い、ポスターもパンフレットも全ていわきの船一色である。そして新聞にも載った。 今日1日が大事だ。朝8時にホテルを出発する。いわきチーム全員がやる気満々。なんとか夕方位までに全てを仕上げたい。朝の体操もなしにすぐにでき

          32.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(9)

          31.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(8)

          大工さんが来ない!なぜ?どうして?? 館長(右)に我々いわきチームの意向を厳しく伝える呉さん ■2010. 06.09 今日は、廃船の組立ても終わり大工さんがセラミックを乗せるステージを制作する日である。私たちいわきチームは、その進行状態を管理し間違わないようにすれば良いので、昨日までの廃船組立て作業とは違って久しぶりに気楽な気分で美術館に向かう。 朝一番に昨日の夕方我々が貼ったステージの高さと幅を示す紙テープを蔡さんがチェックし、大工さんの作業が始まる手順になってい

          31.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(8)

          30.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(7)

          ■いわきチームがニースの新聞に載った!! 2010. 06.08 朝、いつものようにホテルのフロントに部屋の鍵を渡し、美術館へ出掛けようとすると、ホテルの人に話しかけられる。 彼はフランス語の新聞を見せながら「これあなたたちだろう」と言っているようだ。新聞を見るとそこには、結構大きな写真が載っており、蔡さんといわきチームの全員が載っているではないか。 ニースの新聞Art欄にいわきチームが掲載される 嬉しくなってホテルの人に新聞を両手に持ってもらい写真をとっていると菅野さ

          30.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(7)

          29.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(6)

          ■夕食は自炊で 2010. 06.07 ホテルの朝食は毎日同じ 私達の宿泊しているホテルは、美術館まで歩いて10分。途中にスーパーがあり、かなり便利。もう一つこのホテルの良いところは、近代的なホテルではなく天井が高く、エアコンがない事。必然的に昼間は天井まである窓を開放して涼しくするようになる。この様子から「これならテラスでガスコンロが使えるのでは・・」という考えが私の頭に浮かんだのだった。 朝食には、コーヒーとオレンジジュース、クロワッサンとフランスパン、そして小さな

          29.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(6)

          28.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(5)

          ■蔡さんと呉さん 2010. 06.06 今回ニースには、蔡さんの奥さん・呉さん、長女・文悠ちゃん、次女・メイメイちゃんが一緒に来ている。蔡さんと同じように呉さんとも長い付き合いになる。 我々いわきチームがニースに到着した際にも呉さんが空港で出迎えてくれた。私は半年ぶりの呉さんの顔を見つけてホッとした。彼女は二人の子供の母親でもあるが、蔡さんのよき理解者であり、本当に良きパートナーだと思う。 休日を楽しく過ごす蔡さん夫婦 私達が作った図録の中には、16年前の呉さんと文悠

          28.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(5)

          27.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(4)

          ■館長の家を訪問2010. 06.05 フランスは、今まで蔡さんがいわきの船の作品を発表してきた国と明らかに違っている。その一番の違いは、休日はきっちり休んでゆっくり楽しむということ。美術館ももちろん土曜、日曜の仕事はしない。その土曜の午後2時過ぎ、我々いわきチームは館長の家でのお茶会に招待される。タクシーがホテルまで迎えに来て、細く曲がりくねった道をどんどん山の上の方へ向かう。車から見える景色がすばらしい。街並やビーチやヨットが眼下に見えてくる。 館長の家は、古い教会を

          27.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(4)

          26.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(3)

          ■藤田君腕を挟む2010. 06.04 廃船の組立て作業も4日目となり、終盤である。朝のミーティングでは、藤田君にお願いして、全員けがをしないよう注意して作業するように伝えてもらう。 今回は、我々の意思を伝える為に、藤田君に日本語を英語に訳してもらい、英語のわかるフランス人スタッフに英語で伝え、他のフランス人スタッフにフランス語で伝えてもらう、間に二人を介してのまだるっこさに嫌な予感がする。十分に話が伝わらないもどかしさも感じる。ニューヨークで廃船組み立て時に通訳してくれ

          26.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(3)

          25.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(2)

          ■「いわきの船」がポスターになった2010. 06.03 昨日の朝、仕事前に行われるいわきチーム恒例の体操に照れながら一人参加していた館長が、今朝もまたやって来る。“今日は体操をやらないのか”という身振りをする。みんなが輪になって体操を始めようとすると、美術館の女性スタッフがやって来た。館長が「一緒にやろう」と彼女にも参加を促す。フランス人にとって仕事前の体操は習慣にないのかもしれない。初日の体操はいわきチームと館長だけだったのが、2日目の今日は、フランス人作業チーム4人と

          25.A Gift From IWAKI いわきからの贈り物(2)

          24.A Gift From IWAKi いわきからの贈り物(1)

          ■ニースまでの道のり2010.05.31~06.01 夜9:55発のエアーフランス便に乗り成田空港を出発、パリドゴール空港に6月1日朝4時過ぎに到着予定。時差は7時間というが、機上に12時間以上の滞在。かなりの長時間狭い椅子で体を動かせないのが苦痛だ。映像記録社の名和君は、トイレのまわりの少し空いた空間で運動のために足踏みを続けている。はたから見ると、ちょうどトイレを我慢できないでいる人そのものに見える。トイレに来た人が「どうぞ」と、足踏みしている名和君に先にトイレを促す。

          24.A Gift From IWAKi いわきからの贈り物(1)

          23.Traveling in New York ニューヨーク紀行(3)

          大皿に山盛りのロブスター 私の焼いた器を使ってくれていることに感謝 有り難くいただく シャンパンの酔いをテラスの夜風で醒ます 夜の街音が遠くに聞こえる メトロポリタンミュージアムでエジプトの石に触れ セントラルパークでウッドベースの響きを楽しみ ハンバーガーにつくきゅうりのピクルスを味わう 4日間のニューヨーカー 静かな都会 蔡國強はこの街に住んでいるのだ 蔡國強はいう 初めて見るものは綺麗なものがいいと 最後の日 沈む夕日を見た 対岸のビル群の中 もやの中に赤かった

          23.Traveling in New York ニューヨーク紀行(3)

          22.Traveling in New York ニューヨーク紀行(2)

          MOMA(ニューヨーク近代美術館)のリニューアル記念で「虹の橋」が成功に終わった後、MOMAと蔡が関係者を招いてクリニッジヴィレッジのレストランを貸し切っての盛大なオープニングパーティが開かれた。 さらにその翌日、撮影にあたったスタッフを交えての蔡のホームパーティに、いわきから駆け付けた私たちまでも招待してくれた。 真木孝成氏の器に中華街の食材をふんだんに使った呉紅虹さんの料理が実に豪華であった。蔡の芸術活動を支える辰巳さん、カメラマンの荒木さん、花火を撮り続けている泉谷さ

          22.Traveling in New York ニューヨーク紀行(2)

          21.Traveling in New York ニューヨーク紀行(1)

          「動く虹」・・・ニューヨーク近代美術館・クイーンズオープニングプロジェクト ニューヨークへ引っ越した蔡から、いわきの友人である私たちにたびたびニューヨークへ来ないかという誘いがあった。しかし、その機会をなかなかつかめないでいた。 2002年の6月、蔡からこんな知らせが届いた。MOMA(ニューヨーク近代美術館)がマンハッタンからクィーンズへ引っ越しをすることになり、リニューアルオープニングのために、依頼を受けてイーストリバーに花火を使った虹の橋をかけるというのだ。

          21.Traveling in New York ニューヨーク紀行(1)