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ショートショート『2のいぶし銀』

テレビに映るこの野球選手はどんな学生時代を過ごしていたのだろうか。

母親が夕方まで仕事の際によく食卓に並ぶ総菜のメンチカツを口に運びながら、そんな事を思う。

テレビ画面の右下にはその野球選手についての解説文が書かれている。
「公立高校出身、社会人を経てプロになった苦労人。安定した守備と堅実なバッティングが特徴の”いぶし銀”」らしい。

野球の事は詳しくないが、確かに顔も地味で背も低い。野球選手にしては華がある方ではない。それでも昨年、元アイドルと結婚したらしいのだから間違いなく成功者だ。

僕はというと、クラスでいじめられて”すらいない”凡庸な高校生1年生。1人も例に漏れずクラス全員に「苗字+君」で呼ばれている。髪の毛はサラサラでもなく天然パーマでもない、身長は170cm、勉強も運動も赤点をギリギリ免れるくらいの成績だ。よくドラマに出ているが大半が名前を覚えていない俳優に顔が似ているらしい。
クラスに普通に会話をする友達がいるにはいるが、休日に遊びに行くような間柄ではない。もちろん部活にも入っていない。

試合終盤、その「いぶし銀」の野球選手が9回裏にサヨナラヒットを打った。ヒーローインタビューでマイクを向けられる。照れたような笑みを浮かべてこう語る。

「ありがとうございます。僕みたいな選手がお立ち台に立つなんて貴重な日なので、今日来ているお客さんはラッキーですね。」

球場が笑いに包まれている。なるほど。謙虚かつ、喧しすぎない丁度いいユーモア。国民に愛されるはずだ。


僕はその日、寝る前に何となく「いぶし銀」の意味を調べた。

【燻し銀】
1.いぶしをかけた銀。つやのない灰色。
2.見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの。

ああ、そうか。あの野球選手は「2のいぶし銀」で、僕は「1のいぶし銀」なのだな。そんな事を思いながら、眠りについた。

翌日の学校の昼休み。弁当を食べるだけの都合の良い関係の友達と、最近お薦めのマンガの話をしながら昼食を摂っていると、大きな声が聞こえた。

「うわっ!やばっ!」

野球部の小谷野だ。
1年生ながら野球部の試合に出ていて、学内では有名な存在。
こいつは「いぶし銀」ではないな。誰にでも愛される明るさと、それに見合うルックスと才能も持ち合わせている。どちらかというとスターの類だ。
でも、そんな小谷野より何十倍も野球の才能がある野球選手が「いぶし銀」と呼ばれている。世の中は残酷だ。
そして、それくらい小さな世界ですら「いぶし銀」の僕は一体何なんだ。しかも「2のいぶし銀」じゃなくて「1のいぶし銀」。まあ、そんな事考えても仕方ないので、どうでもいいが。

小谷野は続ける。

「どうしよ!ボールペンで書いちゃったから消せない!」

どうやら野球部の重要な提出物をボールペンで記入し、完全に書き間違えてしまったらしい。それにしても声がデカい。

「うわあ、監督にもう1枚貰いに行ったら絶対怒られる!」

小谷野は本気で焦っているが、その様はとてもコミカルで嫌味がなく、クラス中の生徒が笑っている。僕もクスッと笑ってしまっていた。

普段なら遠くでスーパースターを眺めているだけだが、この日の僕はどうかしていた。昨日見た野球選手と、寝る前に調べた辞書サイトのせいかもしれない。

僕はペンケースを開けてこう言った。


「俺、修正テープなら持ってるけど」

おおお、と教室の空気が沸いた。小谷野が言う。

「お前!まじで!天才じゃん!」

急にクラス中の注目を浴びて動悸が早くなる。テンションが上がっているからか、口が勝手に動く。

「いや、修正テープ持ってただけだろ」

再び教室が沸く。的確なコメントが自分の意志とは関係無く口から零れる。


修正テープを渡すと、小谷野は嬉しそうに修正テープで間違った箇所を消していく。クリスマスプレゼントを貰った子供のように愛らしい。

「ありがとう!また何かでお返しするわ!」

多分何も返っては来ないだろうし返してくれなくてもいいけど、スターの小谷野と喋ってクラスの注目を集めた事が、何だか不思議で頭がフワフワしていた。

この瞬間の僕はなんとか「2のいぶし銀」くらいにはなっていたかもしれない。

謙遜はではない。だって僕は修正テープを持っていただけだから。

翌日からも学校生活は何も変わらずに過ぎていった。昨日のことなど無かったかのように。そりゃあそうだ、僕は修正テープを持っていただけだから。

淡い期待を持っていた事は否定しないが、修正テープを持っていただけなのだから。当然のように「1のいぶし銀」に逆戻りしたが、それはそれで居心地が良かった。



2年半後、卒業式を迎える。
僕の進路は公務員を目指す専門学校。我ながら凡庸な進路選択。

体育館での式典を一通り終え教室に帰ると、別のクラスの小谷野が話しかけてきた。

「写真撮ろうぜ!」

少し驚いたが平静を装って小谷野のスマホで写真を撮る。
まともに話したのはあの時以来なので、少し緊張してしまった。

写真を確認しながら小谷野が言った。

「1年の時さ、修正テープ貸してくれたよな。あれ助かったわ。」

覚えているんだ。こいつは本当に何て素晴らしい人間性の持ち主なんだ。これからの人生も彼はスーパースターとして生きていくのだろう。
小谷野は続ける。

「お前って何かそういう、仕事人的な所あるよな。西急の壮田選手みたいな。」

あの日見た野球選手だ。驚いて何も返事できなかった。

また卒業しても宜しくな、そう言いながら小谷野は去っていった。

小谷野の大きな背中を見つめながら、僕はこう思った。

スーパースターは無理だけど、「2のいぶし銀」くらいは目指してみてもいいかもしれない。

【終】

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