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健康90歳計画

「生きる」ことに対して前向きに捉えられなかった人間が、急に「健康90歳計画」と思い浮かんだので、記念にnoteに残したいと思った。


性加害をしてきた人よりも長く生きてみたいという好奇心

わりとハードめな話題からスタートする。苦手な話題の人は読まないほうがいい。


なぜ今まで「生きる」ことに対して前向きではなかったかというと、性被害を受けたことで、「自分自身を守ることができなかった」という無力感からだったように思う。
15年くらい前に事件は起きた。今までセクハラという言葉で濁していたけど、はっきりと性被害だと捉えることができたのはここ半年くらいだ。


助けを求めたときに、あなたにも落ち度があるのではないか?と言われ、軽蔑の眼差しを受けた。(死ぬ気で抵抗しなかったのか的なことを言われた。生きることより純潔が大事ってなに。)
無数の分岐ルートのあるなかでわたしが被害にあったのは全部よくない選択をしたからだと思って後悔した。たぶん最初に助けを求めた人もハズレだった。
それから、もう何も声をあげることができなくなってしまった。

自分を守ったようでいて自分を守れなかったんだ、と思うようになった。親にも友達にもパートナーにも言えなかった。

去年からファッションを通して自分自身を見つめていた。人目が気になったり、女性性やセクシーという言葉に過剰な拒否反応があったり、一つひとつ紐解くと色んなことを思い出しては、内省し、noteにぽつりぽつりと書いて前に進むことができた。

冷静な眼差しで自分自身や自分自身を取り巻いていた環境を振り返ることができたからこそ、性被害にあった、と自分で認めることができたのだと思う。


※自問自答ファッションはファッションのことについて考えるメソッドなので、わたしと同じようなことで悩んでいる方は医療機関や相談窓口などに行ってくださいね。わたしも被害を受けたあと、事実を認めたくなくてすぐには行けなかったけど、精神がボロボロになってしまって医療機関で治療を受けました。

今年の年明けくらいから、芸人の性加害問題が取り上げられ、色んな意見が飛び交うなか、「女性が自分の体を守ることがこんなにも難しいことなのか」と改めて思った。


でも、たくさんの人が声をあげているのを見て、誰に何を言われても、「生きていていいのだ」と思えるようになった。
薄汚れたまま生き延びてしまったという呪いがかかっていたけど、外野がうるせーなって今なら思う。

勝たなくてもいい、負けなければいい

勝つとは相手たちの改心なのか?
相手を変えることはできないし、心を確かめることはできない。

では負けるとは?
負けるとは自分の人生を放棄することだと思った。


辛い経験してから生きることに対して受動的になりすぎていたなと思う。
自分で自分を守れなかった自分が、自分を幸せにできると思えなかったからかもしれない。


被害に遭ったのは「若さ」故だとするならば、そんなものなどいらないと思ったけれど、同時に「若さ」以外自分には価値がないのだとも思えて、「若さ」を失うのが怖かった。
(今は「若さ」問題は克服しています。)

自分を生きることを諦めない。
生きるしかない。

なりたいものになる。
勉強をする。
着たい服を着る。
わたしの身体はわたしだけのものであること。
生き方を自分で決められること。
やわらかい心を持つこと。
心から笑うことを許すこと。
腕力はないから、どこまでも走って逃げれる脚力を持つこと。



90歳まで生きれば、加害者たちはたぶん死んでいる。そんな世界を少し覗いてみたい。
その頃には性被害にあったことなど忘れているかもしれない。それはそれで良いし、
まだ覚えていたら「みんな死んだな〜」って言って笑ってみたいな。

そう、わたしは大声で笑ってみたい。子どもの頃感じていた、根拠皆無の無敵のパワーがほしい。

これは自分のなかで細胞が全部変わったくらいの革命なので、投稿することにした。
タグはつけない。

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