好きなものを着る
初夏にライダースジャケットを買い、長すぎる夏が終わり、やっと「革ジャン」の季節になった。
初めて着ようと思った朝、少しそわそわして袖を通し、何度も全身鏡でチェックし、職場に向かった。
何か言われたら嫌だな、と思いながら。
新卒で入った職場では頼んでもいないのに男性陣からファッションチェックが入るという風習があった。なぜかわたしだけ。
全てにダメ出しをくらっていた。なぜなら彼らの嗜好で「女性らしい」服装を求められていたからで、わたしは彼からしたら「ボロ雑巾」や「捨てられた犬」みたいな柄のコートや服を好んで着ていた。そのコートや服はすごくお気に入りだったんだけど、着るたびに笑われて着られなくなって捨ててしまった。
あとはせっかく買った服を「ババくさい」とだけ言ってわたしを待ち合わせ場所に置いていった先輩もいた。一緒に歩きたくなかったのだろう。自分が置いてけぼりをくらったことに気づかず、ずっと先輩を探していた間抜けなわたし。
怒っても何を言っても、マスコットが怒ってるくらいにしか思われなかった。
(本当に?と思われると思うけど、本当にあった。ひどい話はいくらでもある。)
もうあの人たちはいないのに、いまだに新しい服を着る日は緊張してしまう。
逃げて遠く離れて、もう安全な場所にいるというのに。
それで、緊張しながらも今の職場に革ジャンを着て行ったら、誰にもつっこまれずにその日が終わった。
わたしは「何も言われないってことは変じゃなかったのだろう!」と思って、次の日も着ようと思った。でもまだちょっと不安だった。
翌日もちょっと緊張して革ジャンを着て行ったら、職場の人たちもなぜか革ジャンを着ていて、「かぷちさんが昨日革ジャン着てきたから自分も着てきた!」と言ってくれた。
そんな奇跡みたいな嬉しいことってあるんだなって、思った。
すごく照れてしまって、なんて言って返したかわからないけど、本当に好きな服を選んで悩みながらも諦めずに着てよかったと思った。
わたしが革ジャンを着ていかなくてもその人は革ジャンを着ていたかもしれないけど、すごく嬉しかった。
きっと前の職場のあの人たちには革ジャンは笑われてしまうかもしれないけど、「は?いちいちうるせーな」って言える気がする。
実際に言わなくてもいいのだ。心の中だけでも言えるようになった、ということが大事なのだ。
誰にも何も言われない服がほしかったけど、そんな服、どこにもないし、つまらないよね。
好きな服を着ることで傷つくこともあるかもしれないけど、そんな傷などちっぽけに感じるくらい素晴らしいものが待ってたり、する。待ってたり、した。
きっと、もう大丈夫な気がする。
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