はじまりと、枠について

日常というものがここ数年で目まぐるしく変わったからか、私の頭の中の記録、私をつくりあげる要素を探って遺して置きたいなぁと思うようになりました。
なのでコツコツと文字を組むことにしました。

その時の気分、感情のままにつらつらと並べて、過去の日記を見返した時の、なるほどと思ったり、こそばゆくなったり、ハッとしたりするような記録になればいいなぁと思います。

一つ目の題は枠。

枠もといフレーム。
日常を何ともなく過ごしていても、いつの間にか頭の中にくっきりと遺っている景色がありませんか?
私の中に遺っている多くは、室内から外を見た景色だということに最近気がついたんです。

外"に居て"外"を見るより、"内"にいて"外"を見る方が好きらしいのです。


例えば思い出されるのは、中高生の頃、答案が埋まらない故に早めに終わったテストを枕に、気だるげに何を見るでもなく、窓から入り込む風につられて目に入った、木漏れ日がさわさわと移り変わる青々しい木。


例えば、幼少期の頃、家族と車に乗る時の決まった助手席。 
どこに向かうにも子供の私にはあの狭い空間と締め付けられたシートベルトがなんだか焦ったくて、退屈で、気をそらすかのように車の中から見ていた雨の日の流れ走る雫達。

例えば、春の終わりと夏の始まりの間の夜、
眠りにつく前に窓を開け、カラカラと網戸を引いて吸い込んだ季節の移り変わる匂いと、深夜の紫がかった薄鼠の空。数時間後には洗濯物が映える青空になるのをジーッと、でも着実に待っているような。

例え話はキリがないのですが、みんなはどうなんだろうとふと気になりました。

私は枠があるから好き、というより、枠によってそのものとある程度の距離が生まれることが心地よいんだろうなぁと気づいた最近です。

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