イメージとこじらせ

人から見た自分のイメージを把握するのが下手くそだと最近になってようやく気づいた。
下手くそというか、イメージって難しいなという話なんだけど。

大学生の頃、校内ですれ違う同じ学科の顔見知りにあいさつをすると、「いつもまおちゃんは元気だね〜全然変わらないね〜」と言われることがちょこちょことあって、
多いかどうかはわからないけれど、言われる回数が積もる度に少しずつ違和感膨らんでいた。

大学に入って変わった生活環境、ぬくぬくと育った中高を出て突きつけられる色んな価値観に結構精神的にバタバタとしていた私には、“変わらない“、“いつも元気“という言葉はなんだかすごく他人行儀で(言った人はきっと何も強い意図はないだろうけど、)私の何をみてそんなことを言うんだ?なんて思ったりした。(褒めてるのと馬鹿にしてる違いは顔でわかるよ〜)

だからイメージって結構適当だなって不信感もあったし、自分が思う自分のイメージが当てにならないなぁと思った。

今では結婚した私だけど、学生時代は恋愛が出来なかった。
仲良くなったり、好意を伝えてもらうことは少しばかりあったけど、自分にガツンと思える自信もないし、私の経歴から期待されてると思っていた“ピュア“という部分にすごく反感があって、どうせあなたの理想とは違う人だよ、なんて思って、距離が縮まる=避ける、みたいになっていた。
自分に自信がないから、私のこと好きになるなんて謎なセンスだ、って相手に冷めることもあったし、とにかく、自覚していない承認欲求を拗らせてた。

卒業してイタリアに行って、恋愛なんて無理だけど子供は欲しいから、適齢になったら遺伝子バンクからでも子供を産もうと尻を括って、全くすっかり恋愛を諦めてた。
というよりも、イタリアでの彫金の制作に没頭していたことや、自分にとって生活のキュンとすることを探るのが楽しくて、恋愛という議題が頭になくなっていた。

そんなこんなで少し自分に自信を持てたからか、ひょんなコメントのやり取りから始まった主人とのやりとりも続くことができた。
主人が何でもかんでも話したがる性格なこともあって、期待されてると思うこともなかったし、本音で話しても丸ごと受け入れてくれていたことで、余計に不安になることもなかったから、ありがたい。

主人の他の人と違ったことは、イメージを持たれる隙もなく質問してくれたことかもしれない。
私の言葉で、私の考えはこうです、と伝えられる会話があったこと。
自分で自分のイメージを構築できたというか、

主人が私に持つイメージ=
私の言葉で伝えたことから出来たイメージ 

な気がして、それでも良いならって飛び込めた気がする。

そんなこんなで恋愛のこじらせは一区切りの記録でした。



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