意味のないことをするのが怖い
表題の通りである。
何のせいかはわからないが、必要以上に物事に対して意味を考えてしまう。
意味のないことをするのは時間の無駄と感じてしまう。
例えばゲーム。
何も生み出さないので、意味がない。
楽しいかもしれないが、誰かがプログラムした中で遊ばされているだけだ。
例えばSNS。
その時々の感情を呟いても、個人情報になり得るものをオープンにしているだけで、意味がないどころか危険性がある。
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世界が必要以上にコスパだタイパだと言うからだ。
と、世の中のせいにするのは簡単だ。
でも結局は自分の心持ち次第だろう。
そうして何をしても楽しくないのである。
全てを否定的な視点で見てしまう。
リスク回避にはいいかもしれない。
回避しすぎて、むしろリスクになっているかもしれない。
と考えることすら意味がないような気もしてくる。
そもそものそもそも、人間が地球で繁栄することすら意味がない。
ということは、(尊いとかは一旦置いておいて)生き物の命にも特に意味はないのであろう。
じゃあ意味を考えていることに、意味はない。
コスパやタイパが良かろうが悪かろうが、自分がやりたいことをやって、楽しければいい、のだろう。
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タイパを気にしないといけないほど色々やりたい人が羨ましい。
また最近はぼーっとする時間が増えている。
(ライフハッカーとかで読む分には、そういう時間も必要らしいが)
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と、noteに書くのは、なぜか許せる。
頭の中の整理には、アウトプットはやっぱり有効らしい。
他のソーシャルメディアと違い、露骨な批判をする人がいない。
また知り合いとの繋がりもないので、読まれるから…という余計な心配もせず素直に書ける。
もう少しnoteを活用しようか。
と考える、切ってたつもりのアラームに起こされた日曜の朝。
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