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健康で文化的なスマホを持った猿でいるために

画像は施川ユウキ先生の『鬱ごはん』から。

「愚かでいるのは一種の快楽だ」とはよく言ったもので、昨今の社会にはいかに愚かでい続けられるかを競い合わせるような面がある。それを推し進めているのがスマートフォンだろう。

天才哲学者の呼び声もあるドイツのマルクス・ガブリエルはリンク先の記事でこう述べる。「我々はGAFAにただ働きさせられている」と。

僕らがツイートをしたり、インスタに写真をあげたり、Facebookで近況報告をしたりすることは全て間接的にGAFAの収益に繋がっている=GAFAのために働かされている状態と言っても過言ではないと言う論旨である。

これ自体は物珍しい話でもなく、広告収入を基本としたサービスを無料で利用しているなら、別の形でその勘定を払っていると言うことに過ぎない。

しかし、無理にバズりを引き起こしたいがために一時期流行した「バカッター」のように犯罪すれすれか一線を超えた人も少なくない。また自身のビジネスターゲットを獲得するためにわざと過激な発言を繰り返し、「炎上」を狙う自称経営者・インフルエンサーらも存在している。

別に真剣にやっている人たちを茶化したいわけではないが、バズったらええ、燃えてもかまわん、と言うスタンスはかなり恥ずべきものだという共通認識がどんどんと削ぎ落とされいく過程を見ているようで、かなり気持ちが悪いのが本音なところだ。

これから10代、20代でスマホを持つのが当然な世代の子たちがわらわらと社会進出してくる。彼ら彼女らが愚かであること=無知だがその分、賢しく立ち回らないことは、上の世代から見れば物足りなく思えるかもしれない。が、冒頭で書いた通り「愚かでいるのは、一種の快楽」であり、別の思惑から身を守るための擬態でもあるのかもしれない。

それに、いくら燃えて馬鹿をやったところで、多くの人たちはマネタイズできないままに終わる。ネットでバズって収益を得ようとするなら、人手の無いNPOで働く方がやりがいがあるのでは無いか。

他人と自分とを別の人種だと思い込むことから、あらゆる悲劇は生まれてきた。手を取り合った愚かな猿として、今日も炎上しない程度にネットの海を漂うばかりです。

そんなことをちょっと考えました。

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