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21日間の21の間——「インディゴの気分」視覚テキスト分析(第六の間と第七の間)

作者Maomono
翻訳sekii

第六の間 創作共同体


大量な背景説明がある第一話と急展開する第三話に挟まれる第二話は、プロットや二人の関係からみて繋ぎ的なものであり、すべてがこれから起こるが、まだ起こっていない曖昧な段階である。「第六の間」は、第二話の冒頭にある二人の対面するシーンをとりあげる。このシーンは、第一話の最後の長回しで確立された創作共同体の関係に続くもので、作家と編集者が協働する様子を示す。この協働は長い間二人の関係を支配し、二人が一緒にいる時間の大部分を占めることになる。

このシーンの主体は城戸が原稿を読む際の顔の大きいクローズアップの後にある長回しで、二人の固定ショットから、木島のクローズアップまで、1分33秒から3分22秒まで続く。第一話の後、5分以上かかる長回しはないが、2分前後つづく長回しは二人の関係の定義と表現のために頻繁に現れる。

これは城戸が初めて木島の原稿にコメントするシーンだ。二人の立ち位置、座り位置、歩き位置を注意深く観察しよう。編集者は作家の最初の読者であり、最も特別な読者でもある。作家の創作の自由と読者が代表する市場の需要を調整する役割で、作家の右腕でもあり、最も信用できる人でもいる。ソファーに座り、困惑した表情で木島のはじめての官能小説を読んだ城戸は、木島から感想を聞かれると、即座に不満を口にし、ソファーにもたれかかる(この瞬間、彼は不満な読者の代表である)。木島は何も答えず、その無表情な視線は視聴者にしか見えなかったが、その背中越しに、城戸はすぐソファーから一気に立ち上がり、まだ官能小説家になりきれない木島の機嫌を取る。まずはストーリーの良さを褒め、次に文章の良さを絶賛する。しかし、城戸はずっと「立」っている(すなわち、優位性を握っている)。そこから、城戸が編集者として意見を言い始めるのが予測される。木島が書こうとするのが官能小説で、官能小説の読者は純文学を望まない。言い換えれば、木島の書いた小説と位置づけにズレがある。しかし同時に、作家にとってこの移行は非常に困難なことであることも城戸は理解している。このハードルを越えられないなら、木島が直接筆を折ることになり、作者も編集者も、二人とも勝ち目がない。これが創作共同体なのだ。そこで城戸は、修正の要求をできるだけ詳しく周到に説明する。木島は聞いてすぐに理解し、くどくど言って、結局は官能的な描写を増やせということじゃないかと意味深な視線を送る。木島はウイスキーを取りに「立」ち上がるが、すぐに戻ってきて「座」る。それは、ささやかな反抗をするが、創作共同体の関係において支配的な人物である編集者の立場に異議を唱えないことを示す。城戸は、木島が官能小説に対する偏見があり、まだためらいがあることを知っている。そこで、木島に参考になる本を読んだかと尋ねる。天才作家が普通の小説を評価するわけがない。木島が蒲生田の作品を好きだと言うと、傍らでタバコを吸っている城戸はやっぱりそうだと言う。

やっぱりという言葉は意味深い。城戸は木島のすべての著作を読んでおり、木島の文章からその人柄を理解し、また、こういう文章を書く作家がどのような文章を好むのか、職業柄で推測ができている。木島と同様に、純文学から出発して官能小説を書くようになった蒲生田の文章が木島の好みに合うはずだ。ここで城戸はある配慮をする。木島に蒲生田の本だけを見せて、蒲生田の道を歩めと建言してもよいが、そうせず、蒲生田の本を普通の官能小説と混ぜて、比較のシステムを作ってみせた。見慣れない分野のものは、一見するとどっちが良いかわからないが、隣に参考するものが置かれると途端に、いいものが目立つようになる。これが編集者城戸の戦略である。勧めに抵抗感のある人にいかに効率的に勧めるか。城戸の戦略を参考にしてみてはいかがでしょうか。

そのような比較の中で木島は、官能小説でも優劣の差があり、上手に書くのは簡単ではないことを知る。よって、木島は自分でもこのように上手く書くぞと挑戦してみようという意欲が湧く。精進する意欲があって編集者の意見や提案に対する抵抗感も少なくなる。城戸は改善点をまとめ、リビングのソファに「座」り、編集者としての役目は終わる。カメラがプッシュ・インして、蒲生田の小説をめくる木島の真剣な表情だけが画面に残る。木島との関係からみて、城戸はこのかつて傲慢で不遜な作家を完全に征服した。

ここまで書くと、城戸は生まれつきの編集者のような気がしてくる。作家になる野望は諦めたかもしれないが、それでも編集者として作家に協力する。それは確かに城戸の性格に合っている。人の気持ちを敏感に感じ取り、ポジティブな返事をする。全ては優しい性質からきたものだが、この最大の長所は将来、最大の短所となり、結果的に木島との別れにつながる。しかし、少なくとも第二話では、彼の優しさはまだ二人の関係を温める作用があるだろう。
では、また次の間で。

第七の間 父親への悔い



仕事の関係を分析した「第六の間」とは異なり、「第七の間」は同じく第二話を分析するが、木島が父親について告白することで、二人の関係がプライベートのレベルまで到達し、友人同士としての「話す/聞く」シーンをみよう。

「第七の間」は7:48-9:39の長回しについての分析だ。この長回しの音声演出にまず注目してほしい。そこに、俳優竹財の間の溢れる演出が容易に察知できる。木島の酔っぱらって長引く口調からは、父親にたいしての複雑な心境や失敗に遭ってからの弱さが伝わってくる。

帰宅した城戸は、食卓の上にいっぱいある空き瓶とソファで寝ている木島を見て、ボトルを抱えてデカダンな一日を送ったことを知る。起こされた木島は城戸まで飲みに誘う。「明日は休みだろ。」このセリフは面白い。それは木島が新しい時間感覚を確立したことを象徴する。働かない人間にとって、平日と休日を問う必要がない。それまでの孤独な1年あまりの間、木島は日常生活のリズムを失っていたのだろう。アルコールへの依存も相まって、明らかに際限のない退廃的な生活を送っていた。城戸は木島のアパートに、毎日の通勤と週末の定休日という社会人の規則正しい生活リズムを持ち込んだ。時間を把握することは生活を把握することの始まりである。ということは、この時点で、木島は正しい道を歩み始める。帰るところのない城戸を引き取ったのは木島だが、木島に日常生活の安定感を与えるのは城戸であり、第六話に木島は「君が僕を拾ってくれた日」というセリフをいうのもそのためである。

木島が台所でウイスキーを注いでいるとき、城戸は食卓に広げられた法要挨拶状を目につける。第一話の請求書と借金返却督促状が食卓に置かれて城戸にみかけたのが偶然だとすれば、第二話の挨拶状は多少城戸に見てもらうために広げられたという狙いがある。ウイスキーを注ぎながら、木島は城戸が挨拶状に注目していることに気づいている。この時点で木島は何も言わず、城戸が尋ねてくることを待ち、父の一年忌に行かなかった罪悪感を告白できるようにひそかに期待している。木島と城戸の二人はともにあまり直接に物事をいわない性格である。(だからこそ二人とも書く仕事を選んだのだろう。話すより書く方が簡単なので。)二人のコミュニケーションは、相手の性格を理解した上で成り立つ。

他の人がこの挨拶状を見たら、それは他人に聞かれては困るプライベートだと思い、軽く受け流しるかもしれない。しかし、木島は城戸が聞いてくるのを信じる。城戸が挨拶状を手に取り、じっくりと読みはじめたら、木島は「ああ、これはお父さんの…」と淡々と説明する。そこで、当日が一年忌に書かれた日にちであることに、城戸がすばやく気づく。ソファーで酔いつぶれていた木島はおそらく、手紙を受け取ってからずっと悩んでいて、当日になるとまたハガキを取り出し、帰郷して参列するかどうかをためらい、そしてそのためらいと煩わしさから逃れるためにアルコールを選び、ようやくその日を送ったのだろうと推測できる。ただ、参列しなかったことによる罪悪感を消すためか、木島は酒に頼って、一年忌どころか、葬式にも行かなかったと一気に言い出した。

これは非常識の行為である。長回しの冒頭で、木島が食卓に座り、城戸が脇に立って、頭が画面の外に出る。それはある違いを暗示する。普通な人間である城戸はまだ親父の葬式まで参列しなかった木島とは違い、すなわち、城戸は木島を理解できない。が、木島がそのわけを言い始めたら、城戸はすぐ椅子を引いて座る。彼は木島を理解し、木島の型破りな行為の理由に耳を傾けようとする。木島は、心の底から湧き上がる感情を抑えるかのように、ウイスキーをこまめに飲みながら、城戸に、兄の遭ったことのせいでに知識を嫌うようになり、自分と合わなく、自分の業績を認めようとしない父親のことを話している。幼稚だろうと評価しながら、この幼稚な父親から理解と認めをもらいたがる木島。そこから、木島の父親に対する複雑な感情が分かる。父親の不在は木島の人格に影響を与え、疎外感の直接の原因でもある。文学で成功を収めたにもかかわらず、最も望んでいた承認がもらわなかったため、木島はいつも自信が足りない。それは間接的に純文学の道での発展に遭った失敗につながったのかもしれない。原作の漫画では、木島の受賞したデビュー作は親子関係をめぐるものだと言及されている。ドラマ版で城戸が木島の話を聞いて心を痛めているのは、この情報を持っているからなのだろうか(あるいは、作者丸木戸の加筆によって、城戸はシングルマザーに育てられたので、木島の父親に関する話に同感しているという可能性もある)。確証はないが、ドラマだけでみても、城戸は木島が自分に心を開いていることに気づいた。木島は再び立ち上がって、ウイスキーを注ぐ。そこで、彼は固まった。死んだ父親に言われる通りに、自分はバカにすぎないと感じている。城戸はこれこそ木島の隠された弱さの根源を瞬時に見抜く。その際、静かに耳を傾けることが、最高の返事かもしれない。

キャラクター設定をする際、親との関係を加えることで、キャラクターの深みがぐっと出るとよく言われる。誰もが両親から深い影響を受けている。「原生家庭」(protosomaticfamily、実家)という概念を使うことはできるだけ避けたいが、両親と過ごした時間が人々の人格の形成に大きく影響し、他人や世界との最初の関わり方を決定することは事実である。大人になるにつれ、人間は両親の影響を何度も見直すことになる。このシーンの前、城戸は末期がんに侵された蒲生田のもとを初めて訪れた。木島から父親に対する葛藤や後悔を聞き、城戸は頭の中で無意識のうちに両者を結びつけ、その後の物語で二人の作家の互いの癒しの旅を可能にし、間接的に彼と木島との新たな関係の構築に貢献したのだろう。
では、また「第八の間」で。


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