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2か月ぶりのプリント。何となく撮ってきたものをなんとなくプリント、終わったあと瀬戸さんに見てもらい、そこから見えてくるある一つのテーマを提示してもらい私の中でも妙に府に落ち、それに絞ってやってみようと感じ、その場で決意表明する。提示した瀬戸さんが、そのテーマ俺もやっちゃおうかな〜!と冗談で言っていたけど、撮影者が違えばテーマは同じでもまるで違うだろうとも思い、それはそれで見てみたくもある。この、写すだけの行為でなぜ個性が現れるのか、日々撮影やらプリントやらしていてもハッキリとは分からず、それこそが技術だと言えば勿論そうだけど、まだモヤモヤの霧の中に真相があって、そしてそのモヤモヤから取り出せる日が来る気もせず、写真はずっと不思議な存在だろうなぁ、と思う。

これまで自分のオリジナリティの追求のために己のルーツを遡る作業から始まり、最近になってやっと興味の意識が写真という存在自体にしっかりと向いて行き、昨日まで私の個性を表現する手段が写真だったけれど、私のパーソナルな情報たちのことはさて置き、私が作った写真という存在そのものから個性を発揮出来るかもしれない、という段階に入った。もう自分自身の芯はここまででしっかり固めて納得してきたということもある。飽きたと言えば飽きた。
人間は目的のために行為を選ぶけれど、だんだん行為自体が意味を持つようになり、目的が変わっていくという面があると私は思っていて、それを今まさに、写真を通して体感している。

走り書き殴り書きだけど、今考えてる写真のこと。

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