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写真考は続く

私たちはロウソクの火を絶やさないように生きているのかもしれない。耳元で光るBluetoothの接続サインが窓に映ってそんな風に思った。隣の人から火をもらって、その火をまた隣の人に渡す。それがあちらこちらで続けられている。これからもずっと続けられることだろう。

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というメモがiPhoneにあった。よく分からないけど分かる。

昨日今日でこれまでプリントしてきた作品でウェブサイトに追加していなかったものを追加した。2011年からプリントし始めて今年は10年目らしい。続けて行きたい気持ちは最初からずっとあるんだけど、飽きたらやめてもいいやともずっと思ってる。火が揺れるように続いてるかも。急に消えそうになったり、そうかと思えば突如ボッと燃えたり、気まぐれだな。

写真が楽しいなあ、ずっと続けていきたいな、というのが私にとっての写真の大きなテーマというか目標で、どういう心持ちで居たら続けられるか?と考えたときに自分のことを追求することなら終わりがないし一生続けられそうだなあ、と思ってそこを中心にしようと決めた。それで、まず写真で自分の個性を表現したい、でもどうやって??から始めて、もしかしたら自分の周りの環境を写すことで自分の形が分かってくるのでは?という実験および撮影・プリントがスタート。いつもそこに立ち返って考えてるけど、人に見てもらったり自分で改めて見ていると、やがて写真そのものに個性が表れ始めるというか、気付き始めるというか。意味を得るために繰り返し続けてきた行為が、だんだん行為自体に意味を持ち始めてきているのかもしれない、と思うようになった。自分のことを追求するために始めた写真から、写真そのものが自分になってきているのか?と思ったりしてる。

というのがこれまで使ってきたAUTOCORDっていうカメラの名前が言葉としてしっくりきて前回はタイトルにしてみた。写真が言葉や記号のようになっていきたい、と最近は考えてる。

自分では意味わかってるんですが、説明が下手でよく分からないと思いますので、これ読んでくださってる方は作者の考え方とか無視して写真を見ていただけると嬉しいです。ということでこれからもプリント続けよう。

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