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写真現在過去未来

写真は現在を撮るが、見るのは未来で、その未来では過去を見ている、というのは、私が考えた珠玉の名言である。

私が子供の時分には、工場が沢山あった。こうじょう、ではない、こうば、と呼ぶ。隣の家は昔、工場になっていて、油の独特の匂いや豊富な種類のネジ、よく分からないけど危なそうな機械があった。何度か、このような工場で親の帰りを待たせてもらったことがある。ガシャンガシャンと大袈裟に動く機械と機械の間で、お絵かきをしたり、おばさんたちにお菓子やお茶を貰って過ごした。

今は数が少なくなってしまったが、久しぶりに工場を見かけた時、懐かしいという気持ちになり、思わず撮ってしまった。過去のものが現在の上に取って付けたようにあるので、少し変な気分になる。

コンクリートに染み付いた油汚れが良いなあと思って撮ったこのショットが、この工場の最後の景色で、気づけば綺麗な更地となっていた。今は跡形もなく別の建物となっていて、油汚れすらない。

私たちは日々絶え間なく変わり続けるが、それを記録することは、大切な任務であると言えよう。これは決して過去を振り返っているのではなく、未来の人たちへと向けた貴重な情報であると、私は信じている。そのために私は闇雲に撮影を繰り返し、現在を撮る。

写真は、他の何にも成し得ることの出来ない、唯一の力を持ったものであると私は思う。

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