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私へ伝える作業

印画紙の空き箱からプリントを出して選んでいる。もう何度もやっていて飽きた。何を注目するかによっていつも違うかと思えば、結局同じ写真を選んでいる。良い写真の定義が私の中にあるらしい。写真ばかり見ていると今度は言葉が浮かんでくるのでそれを便箋に書き出す。誰にも送るつもりもないのになぜ便箋なのかと言えば、手を伸ばしてすぐ手の届く場所にあったから。プリント、また全部やり直したくなっている。写真展は17日から、大体選び終わったと思えばまた一枚ずつ見始める。

新世紀に出すためにステートメントを考えていたが、やっぱり大切なプロセスだということに気付いた。写真が先に私に何かを伝えていることには変わりないけれど、私が出来上がった写真をどう受けとめているかということを私自身に改めて伝え、考え、今の時点で構わないから応えなければならない。必ず言葉にして。写真を翻訳する作業、私は必ず通らなければいけない気がする。

その後、またプリントを見直すと予想以上に良かったりする。心でわかってるけど頭で理解していなかったのかもしれない。
また明日、冷静になってステートメントとプリントを見ようと思う。

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