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粒子の言葉

暗闇の中でプリントするとフィルムの不均等でバラバラな個性ある粒子たちが、ひとつにまとまって私のところにやってくる。透明なガラス越しに映して採れた沢山の小さな光の粒子は、私に何かを伝えてくる。それが何かというのは言葉ではうまく言い表せない。写真は間違いなく一瞬を映すけれど、私にはそんな気がしない。この画面の中には言葉よりも記号よりも、なんと言っていいか、とにかくそれらよりもっと多くの情報が詰まっている。私には撮っているという感覚しかないけど、プリントを見ると私は明らかにそれ以上の何かを受け取っている。空気や気温まで記録している。ここまで来ると、一瞬なんてそんな短い時間の話ではないような気がしてくる。なんと言っていいだろう。本のタイトルを見ただけで、読んでる人と読んでない人ではタイトルの印象はきっと違うし、たとえばその本をみんなが読んでいたとして、注目する部分は別々で、各々違う記憶で見ていると思う。ただ、タイトルの文字は記号として同じものだから、一言で、一瞬で終わってしまう。でも本の中身の膨大な情報を誰かと共有するときも、そのタイトルの言葉を使えば微かに違えど同じ感覚を一瞬で分かち合える。だから私は、この小さな粒子ひとつずつが、人間が使っている言葉みたいなものなのかもしれないと思った。全体で見ればひとつにまとまっているけど、本当はその言葉たちが詰まっている。時折使う「写真を読む」という意味にも繋がる。

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私の写真は、私のものなんだろうか?これがずっとはるか未来に残っていくなら、もう私のものではない。大きな広い宇宙にいる私のことを思うと、私も小さな粒子なんだ。写真を撮るという行為について、新しい視点を持つ。

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