見出し画像

子供に携帯を早く持たせる、ぜったいに。


大学生活も残り半年あまりの今日は、資源回収日の5日前でもあった。これまでの参考書やらノートやらを紐で縛っていく。

そんな中見つけた、「日記③」と書かれた薄水色のキャンパスノート。中学2年の当時、書道を始めた影響だと思う。いきって筆ペンで書かれたタイトルを1枚めくって中を見た。


子供に携帯を早く持たせる、ぜったいに。

ちょっと笑えなかった。

私が中学2年のとき、その頃は子供がガラケーを所有する過渡期だった。だからこそ、各家庭の資金力が露呈する。「携帯をもっているか」「その機種は最新のものであるか」。

私がガラケーを手にしたのは、クラスで36番目、最後のひとりだった。

新学期の初日、「メアド交換しようよ」と言われることがつらかった。箱入り娘なの?と聞かれたこともあった。どんな顔をすればいいか分からなかった。学校から帰宅後、私を除いた友達同士はメールでやりとりを続けていた。次の日話題についていけなかった。なんの話?と水を差すことだって疲れてもうしない。

デジタル格差。特にこのコロナを機に問題視されてきた。

携帯を持たないことが悪いわけではない。

ただ、平等な機会自分への自信を失うのだ。

そのハンデを、14歳の私は、「ごめんね」と友達に幾度も謝り、会話の中では、話題を邪魔せず無言で微笑む。そうすることで乗り越えるしかなかった。


そんな悔しさを「子供に携帯を早く持たせる、ぜったいに。」の殴り書きに滲ませた。自分が将来子供を産んだら、その子が成長したら、どうか、自分のような羞恥と屈辱を味わわずに済むようにと。