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もう一日待ってくれたら…

クリスマスの準備もほぼ整った。
13回目の結婚記念日。
午前中、家の外壁塗装完了したから沢山の諭吉とお別れした。
オットが「仕事中寒かったから飛び跳ねてたらポケットから落ちた」携帯の画面交換に行った昼。
オットの携帯で「お父さん具合悪そうだからどうしたらいいかねえ」「病院連れて行けば?」とオットと義母の会話があったような…
修理待ち時間に、久しぶりに休み予定合ったオットと記念日ランチ行った。

午後からオットは昼寝。
嫁は予約していたネイルに。
子に考えてもらっていたクリスマスな感じで…
浮かれた嫁

ネイルが半分過ぎた頃、夫からの電話あり。
「親父、何かあんまりよくないらしい。」
仕事のシフトが夜からだから、明日朝から実家にいこうかーと。
ネイルも8割完了した30分後
「親父亡くなったら」

もう、衝撃よ。
何ヶ月会ってなかったかなあ?まあいつでも会えるやってそこそこ近くて、ちょっとめんどくさい距離だったんだよな。
便りのないのはいい便りってことでお互い放置。
朝の電話から4時間よ。

オット父、大の病院嫌い。そして弱みは絶対見せたくない人。
嫁、気持ちはよくわかる。多分似てるから。
半月ほど体調悪かったらしいけど、絶対子供達には言うなって口止めしてたらしい。
数年前からあちこち調子悪かったからそれの延長でもあったし…
最期の日は口止めするのもできないくらい弱ってたんだろう。
病院行くのを抵抗することもできない状態だったんだろう。
病院着いてからは先生が治療方針決めて、病室上がる準備しますねーってことで待機してる間に心臓止まったらしい。
(義母が聞いても覚えられないのでって丁寧に状況をわかりやすく紙に書いてくれてた。これからの治療の進め方も書いてあった)
説明聞いたけど、ホントに先生もビックリしてた。
でもね、まあ義父の望み通りだったんだよ。
少し元気なら多分病院逃げ出すくらいの苦手さだったからね。
数時間後には家に帰らせてあげたのよ。


私の父が3年前、昼すぎに散歩に出て行方不明になったのも実はこの同じ日。
見つけられた時には倒れて頭から血を流してて硬膜外血腫で動けなくなった日。

親父たちは何を考えてんだか!
一生忘れられん日にしてくれたよね。
親父たち2人で酒でも飲んでくれてたらいいや。

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