オリエンテーリング、というスポーツの、底知れぬポテンシャル

私は、野球が大好きである。
でも自分ではやらない、いや出来ないが正しい。
なぜなら酷い、運動音痴、球技音痴だから。

今もそうだが、捕ることだけは一応できるが、まともにボールを打てない、投げられない。

だから、子供のころから、私は常に戦力外であった。

でも野球は好き。長嶋さんは大好きだし、80~90年代の巨人は常に追っかけていた。

巨人の終身名誉監督の長嶋さんの座右の銘は
「野球とは人生そのものである」
であるが、

私に言わせれば、
「オリエンテーリングこそ、人生そのもの」
である。

なぜか?

1つは、「常に自己判断」を求められるから。

オリエンテーリングの勝利条件は、
「なるべく早く、すべてのチェックポイントを回って戻ってくること」

ここでオリエンテーリングにあって、マラソンやクロスカントリーなどにはない、この競技ならではの面白い要素が加わってくる。
それは
「チェックポイントにたどり着くルートは常に自分が決める」ということ。
さらに、
「足の速い人が必ず勝利するわけではない」ということ。

すなわち、
マラソンやクロスカントリーの場合、ランナーは全員同じコースを走る。
そうなると、必然的に「足が速い」人がどうしても有利で、優勝しがちになる。

ところが、オリエンテーリングの場合、チェックポイントにたどり着くルートは個人の選択に委ねられるので、森の中でのレースの場合、深い藪の中を突っ切る人もいれば、距離的には遠回りだけど、整備された道をぐるっとまわる選択をする人がいる。

このルートの選び方によって、到着時間はだいぶ変わってくるし、
いくら足が速くても、道に迷ってしまったり、本来行くべき方向とは逆に走ってしまったら、それは本当に「無駄足」

つまりオリエンテーリングでいう『最短』とは
「最短距離」ではなく「最短時間」のことを指しており、
この「最短時間」でたどり着くためには、どのようなルートを選択したらよいのか、という『自己判断』が必要になってくる。

もちろん、それが正解かどうかなんて誰もわからない。
結果的に勝利できていれば「正解」なんだろうし、自分で判断した後は、自分で「正解」にするようにしなければならない。

これって、人生も一緒。

どんな学校に行くか、
どんな仕事に就くか
誰と結婚するのか、あるいは結婚しないのか

その判断が正解か、なんて誰もわからない。
でも自分の中で納得して判断して前に進む、ということは自信を持って生きていく上ではとても大事。

そう意味では、オリエンテーリングはある意味「人生の縮図」ともいえるのである。

「オリエンテーリングが人生そのものだ」という話は、まだまだ続けるつもり。

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