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3.11 東日本大震災-あの時どこにいた?

あの時どこにいた?
…この時期になるとよくかわす会話だ。
もう13年なのか、やっと13年なのか。全国の避難者数は3万人だそうだ。過去形ではない、今現在の話です。
そして未だに遺体すら見つからず前へ進めずにいる方もいる。福島原発の廃炉作業は遅々として進まず見通しすらままならない。

・あの日の光景
あの日、渋谷で仕事をしていたヨメさんとやっと連絡がついたのは20時過ぎだった。被災された方に比べればなんと贅沢な話かもしれないが、無事を確認できるまでの数時間は今思い出しても背筋が凍りそうになる。
徒歩で移動しやっと公衆電話で連絡が取れ、ぼくは直ぐにクルマで迎えに向かった。その途中、多摩川に掛かる橋の渋滞で見た帰宅難民の群衆の列。クルマのTVでは津波の映像が繰り返し流れる。
…あの光景は生涯忘れることはないだろう。

・誰一人他人事ではない
2011年から年を追うごとに3.11の特集番組は減り、まるであの出来事が夢だったのではないだろうかと錯覚する。しかし残念ながら錯覚などではなく歴然とした事実だ。
そして今年の元日には能登半島を中心に震度7の地震が起きた。
この国で暮らすというのはそういうことなのだろうと思う。誰一人他人事ではなく明日は我が身。そういう中で皆、肩を寄せ合い暮らしている。

・もしもの備え
ぼくは中学から大学生くらいまで日本という国、自分が日本人であるということに特段思い入れはなかった。しかし大人になった今、自分はこの国のことが大好きだ。自分が日本人であることを心から誇りに思う。
この国で大切な家族や仲間と暮らしていきたい。
だからこそ今できることを自分のために、大切な人のためにやるべきだと思う。
国も自治体も完璧ではない。
自らが自分と大切な人を守るためにもしもの備えをするべきではないだろうか。それこそがこの国で生きていくために必要なことだと思う。

震災で亡くなられた全ての方へご冥福をお祈り申し上げます。
黙祷。
2024年3月11日

#311 #東日本大震災 #もしもの備え




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