5/3,4


2日、実家に帰省して夜が明けた。


5・3、4


 実家に帰ってきたものの、両親は東京に住む妹に会いに出発してしまった。そう、帰省した理由はうちで飼ってるわんちゃんが寂しくないように一緒に過ごすためだ。この日に何をしたのか全く思い出せない。いや、嘘はだめだ。実際には何もしていない。することなど考えれば何かあるはずだ。それでも考えることをやめたのはなぜだろう。おそらく、実家にいると、これまで何も考えずに過ごしていた日常を僕自身の身体が覚えているのだろう。次の日も何もしなかった。ぼうっ、とゲームをしながら過ごした。そして、ただうちの毛むくじゃらな家族と側で過ごし、家に帰ってきた。最近は映画を見に出かけたり、考え事を常にしていたりと、身体的にも精神的にも活動的だったはずだが、実家という空間にいるとすべてに無頓着になる。今度は空間がもたらす力は僕にとっては大きいのかもしれないと思った。そう考えると1つの結論が出た。

 少し前の話をここに持ち出すと、2週間ほど前、彼女と居酒屋の個室で夜ご飯を食べている時のことだった。その店で案内された部屋は2畳半ほどの2人用の小さな個室で、黒の壁紙を背にランプの光がオシャレを演出した少し薄暗い部屋。料理が運ばれてきて、1口、2口、特別おいしいというわけではなかったが腹が減っていたので普通に食べていた。しかし、なぜだろう、だんだんとこの空間が、だめ、になってきたのである。狭く、暗い、単純にそんな理由ではない。本能からくる不快感。だんだんと深くなってくる、ヤバい。彼女もそれを感じているらしく、すぐに店を出ることにした。街を歩きながら話していると、彼女は料理を残してしまったことを申し訳なく思っているようだった。僕は、彼女のことを馬鹿だと思ってしまった。身の危険すら感じた不快感があったにもかかわらず、そんなことを言える神経が僕にはその時わからなかった。あの部屋については、霊のようなものかまでは分からないが、その土地の空気感や雰囲気というようなものが僕たち二人に合っていなかったらしい。

 ただ、自分の中で気付いたことが1つ。彼女はその場の空気は読めても、空間のことはあまり感じないということだった。居酒屋の時も料理の方に心があったし、そういえば、営む時にも彼女は色付きランプの光でひとしきり遊んだ後、淡々とキスをして、始めようとするのだ。が、僕にはそれが出来ない。部屋の薄暗さや彼女との雰囲気が成り立っていないとだめで、僕は部屋の間取りから感じられる感覚と、その場の空気感を感じること、つまり、空間を含めた雰囲気を感じることを重視するようだ。

 実家という空間に対しても、間取りか光の色か原因は分からないが、ぼうっとする感覚があったのを思い出す。やはり僕は雰囲気を感じることで僕の精神面もそれに影響を受けるのだろう。だからだろうか、僕が住むと決めた部屋ではこんな風に頭を動かして作業することが出来るのだ。こんなことを考えていると自分の考えに一貫性があるように感じた。

 僕は雰囲気を感じることに敏感だ、悪く言えば、精神が脆く、安心を求めすぎるということにもなるのだが、だからこそ、人に安心を与えることが出来るのかもしれない。一度、友達に「○○はここにいてくれるだけでいい」と言われたことがある。僕はその言葉にひどく傷ついた。何もしなくていい、何もできないから、見限られたのだと思ったからだ。今でもほんとうに何もできないのだが、その子の気持ちの中に少しでも、安心できたからだという気持ちがあれば良いと思うようになった。

 僕は直感というものをおざなりにしてきた。アルバイトで塾の講師をしていた時はすべてに理屈が必要だったからだ。なぜ、この答えに辿り着くか、これが重要だったし、人に何かを伝えるときにはそれが必要だと思っていた。でも、先日、この日記でも書いた小松美羽さんというアーティストの書いた本を読んでから、理屈だけではない「魂」というものに出会った。彼女は魂で神獣の絵を描く。絵を描くときはその地に住み、その土地や空間にインスピレーションを受けて、それが絵になっていくのだ。僕は彼女の絵の虜になっていた。直感でこれだけの絵が描けるのかと驚いたし、彼女の絵を何度も見てしまっている自分がいた。これは理屈で考えてはいけないことだと思った。この線やこの色の配置が絶妙だとかいう理屈はいらない。この絵にはパワーがある、単にそう感じるだけでいいと思った。何度もそういったものにに触れると感性とか直感とかいうものが研ぎ澄まされて洗練されていくのだと思った。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」 茨木のりこさんの詩に心を貫かれた。僕はなんて生きるのが下手なのだろうか。

また自分の生き方を卑下してしまうのでこの辺で終わります。

まとめると、雰囲気というと軽く聞こえてしまうかもしれないが、この場の空気感というのはとても重要だし、それに関してどう自分が感じたかということに、もっと目を向けていかなければ自分の生き方なんてできないのだと思った。

長くなりました。すみません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?