ゲンロン批評再生塾課題「言葉には家が必要である」(訂正版)

※ゲンロン批評再生塾の課題として提出した原稿( http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/gonzomi/2679/ )について、訂正の必要な表現があると取材先の齋藤恵汰さんから申し出があり、原稿の一部を修正しました。お騒がせし、関係者の方にご迷惑をおかけしました。謹んでお詫び申し上げます。

該当箇所:「齋藤にとってこれはあくまで「作品」なのだ。本作の着想は「プラダ・マーファ」という北欧出身のアートユニット、エルムグリーン&ドラッグセットのランド・アートから来ている。」→「彼はこれを「ランド・アート」の文脈に位置付け、その根拠の一つとして「プラダ・マーファ」という北欧出身のアートユニット、エルムグリーン&ドラッグセットの作品を例に挙げた。」



1、

 マルティン・ハイデガーの「言葉は存在の家である」が「『ヒューマニズム』について」刊行の1947年の言葉に過ぎないのならば、その現代的な有効性を今一度検討する必要がある。

 批評再生塾第3期第15回講義で、ゲスト講師東浩紀が「批評とはなにか定義せよ」について語ったのは、批評の書き方でも当世の論の潮流でもなく、経営者としての自身の経験だった。彼はこの数年、株式会社ゲンロンを立ち上げ、コンテンツを作るだけではなく、出版、配信メディアを自らプロデュースできるプラットフォーム形成に努めてきた。東がどの先行、後続世代の批評家も身銭を切ってこの「場」の創出ということをして来なかったと語るとき、私たちはそれを、経営者ではなく批評家の言葉として聞くべきだろう。彼によれば、ほとんどの知識人がテレビのコメンテーターか大学教授になってしまった。それは、固有名詞ではなく大文字の「批評空間」の喪失を招き、その「再生」に取り組まねばならぬような現状を招いた。

 東の問題系に即して言えば、ハイデガーの「ヒューマニズム」観には、動物としての「ヒューマン」観が欠けていると言えそうだ。ハイデガーは、理性を使役して言葉による思索を続け、存在へと身を開くことを提唱する。そこには、どうして理性が働かないような状況が生じるのか、どうして人間はときに単なる動物になってしまうのかという観点がない。ここでは東を経由し、ハイデガーの存在論を、「言葉が存在の家であるために、思索する身体はどこにあるのか」という問いに読み替える。それは、大学の学長としての職を放棄してしまったときにハイデガーが取り組むのをやめてしまった彼と現実生活との結び目に関わる問題だ。

 問いについてもう少し具体的に検討しよう。「『ヒューマニズム』について」の、存在へと「思索」するためにいかなる「言葉」がふさわしいのかという論点に注目する。ハイデガーは「言葉を文法学から解放し、もっと根源的な本質構造のなかへ置き入れ」よと唱え、具体的に「詩作」としての言語使用を奨励した。では「詩作」的な「場」の創出というのは可能だろうか。

 そこで、言葉の代わりに貨幣経済というもう一つの記号の体系へと目配せしてみよう。それは以下で試みるのが、資本としての土地や物件がいかにして創作物であるかという問いかけでもあるからだ。

 

2、

 一つ、創作された「場」の具体例を取り上げる。

 アートプロジェクト「渋家(シブハウス)」は齋藤惠太によって2008年に始められた「美術作品」だ。2018年2月現在、3回の引越しと10回の代表交代を経て現在は渋谷区南平台に構える4軒目の建物に、アーティストを始めとした10〜20代、30人前後の様々な若者が共同生活を営んでいる。近年では、シェアエコノミーの一環として若者の貧困と抱き合わせてマスメディアで取り上げられることも多くなり、齋藤自身もその側面を認めている。

 しかし、齋藤にとってこれはあくまで「作品」なのだ。彼はこれを「ランド・アート」の文脈に位置付け、その根拠の一つとして「プラダ・マーファ」という北欧出身のアートユニット、エルムグリーン&ドラッグセットの作品を例に挙げた。その実態は、アメリカ、テキサス州のマーファという、砂漠以外にほとんど何もない陸軍基地跡に置かれたファッション・ブランド「プラダ」の模造店舗だ。「プラダ」とは名ばかりの殺風景な店内の陳列棚に置かれていた当該ブランドのバッグや服飾品は、設置後すぐに何者かによって全て盗難された。

 齋藤によると「渋家」とは、「家を借りて置いておいたら勝手に人が住み始めた」というものだ。現状「渋家」は、メンバーの少なくない層を美術作家やDJ、VJなどのクリエイターが占め、パーティーやライブイベントを主催するなど、アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」を彷彿とさせる共同アトリエの体をなし始めているともとれる。しかし、それは結果論でしかない。「渋家」のコンセプトは東京の繁華街にある空き家であり、そこに勝手に誰かがやってきて何かが行われている。作者によればその点は、「プラダ・マーファ」と変わりはない。

 「渋家」に関わる活動は雑誌の発行から展覧会、パーティーイベント、有名アーティストのライブ公演、アートフェアへの出展、メンバーによる会社経営まで多岐にわたるが、ハイデガー存在論への接続を見越してここでは、ごく一部を取り上げよう。

 「渋家」の株主の一人、美術商岡田真太郎は元々、地元愛知県で大学院を単位取得退学後、通信販売の卸売業を営んでいた。中古CDなどをネットで販売するうちに、岡田はご当地グッズや期間限定商品など特定の時期や場所への限定性で価値を高める商品の収集販売をするようになり、使い途のわからないものを集めることで価値を生み出し、転売するという切り口からアーキビスト、美術商として現代美術と関わるようになった。現在は「渋家」をアート作品として販売しようと目論見つつ、あいちトリエンナーレ会場の一つでもある名古屋市の伏見地下街の一店舗を買取り、同地下街協同組合専務理事として商店街の活性化に努めている。卸業者としての彼の経歴の上では、中古CDも美術品も不動産も、そして町おこしというプロセスも同じ商品だ。今一度、「渋家」は商品として美術品でも不動産でも、その両方であることを強調したい。

 美術品の価値について補足しよう。絵画や彫刻の価値を決めるのはその美術品の出来や、歴史の中の位置付けだけではない。例えばそれが誰か有名人の持ち物であったかとか、何か歴史上の大きな事件で破損したりといったことがあれば、その作品にはセカンダリーマーケット以降の取り扱いで大きな価値が加わる。投資目的の資本として美術品を見れば、こうして作品が完成された後も、それが新たな価値に開かれ続けていることはそれに関わる者にとっては特筆事項ですらないだろう。

 岡田は齋藤に、賃貸人が店舗や部屋を利用したまま物件が転売される「オーナーチェンジ」のコンセプトを提案した。こうして不動産の文脈から新たなプロセスが加われば、それも作品の価値としてまた書き込まれる。

 齋藤は「渋家」をランド・アートでも、プロセス・アートでもありうると語った。一方で土地(ランド)である「渋家」という作品(アート)に、多様な人が出入りし、新たな社会との関係性や新奇性(プロセス)が絶えず刻まれる。そこではこれがどういうアートや社会の文脈にあるものだったかが、ときには遡行的に書き換えられる。作品は商品として持ち主と利用者の間を渡り歩きながら価値を収集し続ける。

 齋藤は現在運営リーダーを離れているが、オーナーでもオーガナイザーでもなく作家(オーサー)としての立場を取り続けている。その態度はデュシャン以降の芸術作品のあり方をうまく、社会構造の力関係の中に埋め込んでいる一例でもある。作品はここで、美術作品としての価値の不確定性が、商品としてのそれに新たな価値を供給し続ける場であり続ける。クリエイションが価値の固定からの逃走劇であることの側面を、私たちはここに垣間見ることができるのだ。

 「場」が作品であるとは、つまりその物件が価値から逃走する芸術の避難所であり続けるということだ。資本が、その価値を数字で表す記号でもあるとき、それを「作品」として流動させておくことで、私たちはこの経済のやり取りを存在へと開くことができる。「存在の家」というのは遂に比喩ではなくなる。

3、

 

 「場」が作品であることと「存在」の関係について今度は存在論の立場から規定しよう。

 社会学者大澤真幸は、ニクラス・ルーマンの社会学理論に代表される相関主義の克服を目指し、カンタン・メイヤスーの思弁的実在論から「世界の偶有性」論を援用してカントの「物自体」の実在を救出しようとする1。それは、ルーマンの根源的構成主義に基づいた現実認識の中では、観察に相関した実在のみがそれとして認められるが、メイヤスーの論を使えば、そうして認識された実在の必然性を証明すること自体ができないことが暴かれ、今ここにある実在のそうでなかった可能性=偶有性において相関の向こう側にある普遍的な実在を取り出せるというものだ。大澤が、相関主義的な現実認識の向こうで「物自体」を「他者」にも「神」にも読み替えていることを加味すれば、ここにハイデガーの「存在」を代入することは難しくない。

 ハイデガーが「存在」の中に「否む働き」として「無」の概念を書き入れたことからもハイデガーとメイヤスーの相互補完性を確認できる。つまりメイヤスーの論から手繰り寄せられる存在論とは、私たちの目の前の現実がそれである必然性を持たないゆえ、その「ない」によって保証される実在のことだ。そこにはハイデガーが拒んだ超越的な形而上学の余地もなく、その「ない」への「関わり」でのみ「存在」に開かれる彼の論の独自性も担保される。

 「渋家」を作品として見るこの試みの中で、「作品」はそれ自身が歩んだプロセスの「偶有性」によって存在へと開かれる。その生のプロセスが、なんらの意味にも、機能にも、価値にも回収されきらないのは、それが何かを目指したもの手段でも、成否の判断を受ける結果でもないときにだけだ。「作品」であるということは、その商品価値を因果の呪縛から解放する。

 「渋家が作品である」という事態にもう少し具体的な見通しをつけるため、この「場」で行われる生の営みが一つの即興劇であるという見立てを導入しよう。つまり、所与の事態が現状のそれでなかった可能性の中にあるとは、まるでそれがフィクションであると思い込む/気づくなのだ。私たちはメイヤスーを経由して手に入れた、存在への開きとは現実を虚だと気づくことだった。その「場」において、私たちはあらゆる真面目な営みを「play(劇/遊び)」の出来事へと返していかなければならない。

 つまり、存在への身の開きを保証する「場」とは「play」の場のことだ。これは、私たちには遊び場が必要だという意味ではない。むしろ、私たちの身に起こる、その社会システムの中では取り返しのつかない事態に思えるいちいちの事柄を、偶有性へと勇気を持って開いていくことにある。それは言ってみれば、虚無への決死のダイビングだ。私たちはこうして、自分たちの生生活が無意味である可能性に寛容であることを求められ始める。

 結論に入ろう。それは、実行のレベルでは単に資本がどのように運用されるかという問題だ。大きなお金は「劇場」を買うべきであるというのが私の結論だ。それも「渋家」を少々長い即興劇作品と捉えるくらいの広義での「劇場」を買うべきだ。「存在は言葉の家である」。貨幣もまた記号の一つであるなら、適当な存在へのお布施の作法があるはずだ。「play」を可能にするこの「劇場」獲得の試みはここに、目的性の身投げとして始まる。

1「根源的構成主義から思弁的実在論へ…そしてまた戻る」大澤真幸、「現代思想2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018」

(「渋家」に関する記述は、齋藤惠汰氏、岡田真太郎氏の取材協力に基づく。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?