ジャック・リヴェット『シークレット・ディフェンス』(1998)

がん治療の研究施設に務めるシルヴィが仕事を終え職場を後にしようとすると、真っ暗な誰もいないはずの隣室から物音。幽霊か、不審者の侵入か、訝っておそるおそる音を頼りに暗闇をさぐり一つの人影にたどり着く。「父さんの死の真相をつかんだ」。現れたのは彼女の弟ポールだった。5年前に列車からの転落事故で非業の死を遂げた父親が、実は何者かによって殺されたのではないか。弟は嗅ぎ回り、やっと掴んだ些細な証拠を手に自分の推論を報告しにやってきた。その手には復讐を誓って拳銃が握られている。
姉をカフェへ連れ立つと、弟は父親が亡くなった日付が焼き込まれた1枚の写真を取り出し、亡くなる数十分前に駅のフォームに立つ父親とその背後に紛れ込む人影を指差す。経営者だった父の側近ヴァルサーだ。彼が父をその手にかけたと、弟は乱暴に推理する。
こうして物語は、父を殺され母を奪われた若い男のハムレット風の復讐悲劇を予見しつつこれを阻止するため、弟が殺人者となる不幸な未来に姉が先回りする「秘密の防衛」劇へ舵を切る。弟に代わってシルヴィは自らヴァルサーを殺そうとする。しかし、真相はまだ明らかになっていない。果たして本当にヴァルサーが二人の父親を殺したのか。つまりシルヴィの動機は復讐ではなく、弟に殺人を犯させないことにこそある。タイトルには、秘密をそのままに隠し続けること、そうして密かに人知れず誰かを危険から守ることとのこの二重の意味が込められている。
父の死後、その後釜について兵器開発企業の経営者となったヴァルサーは、また二人が幼少期を過ごした父の居館、田舎の古城に暮らしている。列車を乗り継ぎ、車しか通らないような夜道を歩いてヴァルサーが暮らすこの城を訪れたシルヴィは決死の思いで彼に銃口を向けるも、誤って割って入った彼の秘書ヴェロニクに阻止され、代わりに彼女の命を奪ってしまう。「お前じゃ無理だ。ヘマをする」。弟にはなったはずの言葉は呪いとなって彼女のもとにはねかえってきた。
疲れ果て自らの失態に動転し気絶してした彼女をヴァルサーは丁重に扱い、翌朝目覚めると凶器も遺体もまるで何事もなかったかのように処理されている。混乱と絶望の淵から、古城で働く使用人たちと疲れを癒すように語り合ううちに彼女はここで過ごした幼少時代を回想する。変死した父と、14歳で自殺した姉。すでに亡くなった家族の記憶が染み付いたこの城が彼女にもたらす光景は、まるでこの世のものとは思えないなにか。やがてヴェロニクの妹が行方不明の姉を探して訪ねてくる。この若い娘は元の目的はうやむやになり、すぐにヴァルサーと肉体関係を持つ。
ヴァルサーが屋敷に招いたヴェロニカの妹を、シルヴィに引き合わせるシーンは、冒頭のポールの登場シーンと酷似している。物音に気づき、廊下の先の暗闇に引き寄せられるシルヴィ。その先には、彼女が殺したはずのヴェロニカそっくりの若い女が立っている。彼女は亡霊だろうか。いやそうではないはずなのだが、シルヴィの目にはそうとしか映らない。だとすれば冒頭のシークエンスに登場したポールもきっとポールそのものではなく、シルヴィの前に現れた亡くなった父親の亡霊だったのではないか。そして、この「暗闇に立つ亡霊に似た人影」というモチーフはさらにもう一度登場する。
果たして、父親を殺したのはヴァルサーなのか。ヴェロニクの殺害をシルヴィは肉親に伝えるのか。物語は推理小説の謎解きを模倣するように展開するが、しかし真に重要なのは事態の真相ではない。彼ら彼女らが真相を知ることができないのは、それが隠されているからではなく、彼ら彼女ら自身がそれを知る準備ができていないからに過ぎない。ここで描かれるのは謎解きではなく、いかに真実を知るための覚悟を決めるかの心理劇にちがいない。準備のままならないシルヴィは母親と電話をするも父親の死の真相を尋ねることはできず、いかに自分が明かすことの予期せぬ殺人の不幸で苦しんでいるか「あなたにはわからない」と彼女に主張することしかできない。ヴェロニクの妹に殺人の真相を明かそうとするときも、シルヴィが彼女に冷たいのはヴァルサーという恋人を横取りしたからだと勘違いするこの娘に「殺人事件の真相」を伝えることができない。ヴァルサーもまた「君に関係ないことなら話す必要がない、君に関係することなら話す筈がない」といって一向に父親の死の真相について語らない。
結局、なに一つ事態を進展させることがままならないまま古城からパリの自宅に帰るシルヴィ。しかし、彼女の自宅には3回目の「暗闇に立つ幽霊のような人影」が訪問する。ヴァルサーだ。「自分が君の父親を殺した」。彼がここで明かす事件の真相は映画の冒頭からすでに明白だった。それはポールの予想通りだった。しかし今やっと初めてシルヴィにはそれを知る準備が、ヴァルサーにはそれを語る準備が整ったのだ。
その理由は二人が同じ立場に立ったこと。シークレット・ディフェンス。のちにシルヴィの母が語るように、ヴァルサーは恐ろしい罪を働いた彼女の父親を、本当に彼のことを恨んでいるはずの母親が殺人者とならないように代わりに殺した。人殺しのヴァルサーは、同じ人殺しのシルヴィにしかその真実を語ることができなかった。それは「真実はそれを知っているものにしか伝えることができない」というひとつの定理の実演であるかのようだ。
しかし、なぜヴァルサーは古城で彼女に父の死の真相を語らなかったのか。きっとヴァルサーは古城からパリまで移動する時間の中でそれを決心したのだろう。映画ではそれが描かれることはないが、観客にはきっとそれを容易に想像することができる。この二つの場所がいかに遠く、移動の時間が煩雑かということをシルヴィがパリから古城へ向かう逆の経路の中で観客はよく知っているからだ。

***

筋書きを少々遡る。ヴァルサーを殺すと決心したシルヴィは長距離列車の一等客室に乗り込むと化粧室に向かい、鏡の前に立ちそこに映る自らの分身にまるで凶器を確認させるように拳銃を取り出して見せ、殺人の成功を誓うのだ。依然取り乱して不注意な様子で化粧室を出るとバーに向かいウォッカを注文する。隣席に座っていた男がここでも居合わせ、「なにをじろじろ見ているの」と彼女は難癖を付ける。殺人者になる決意をした彼女は、あらゆる目線が疑いを帯びて恐ろしい決断をした自分を見張っているのではないかという孤独でパラノイアックな予感に包まれている。あの化粧室を出た直後からまるでこの世が自分を睨む別の自分たちの群れになってしまったかのように、周囲の景色はすべて彼女を見張る鏡と化したのだ。慌ただしい列車の乗り換え、彼女が立ちすくむだけでなにも事件が起きない列車のざらざらと通り過ぎる車窓に浮かぶ景色のノイズ、夜の車道を歩く彼女を照らすバスのイラつくヘッドライト。このなにも起きない不安な映像のノイズに何の意味があるだろう。この殺人は結局失敗するが、彼女の決心は彼女を真実を知ることができる者への変身へと導く。ここでは「入定」の時間とも呼ぶべきものが描かれる。彼女がこれから犯す罪、そして彼女が映画のラストで裁かれるその不幸な結末とはこのときに決定する。

この映画には「暗闇に立つ幽霊のような人影」が三度登場すると先に告げた。まず父親の幽霊としてポールが、次にヴェロニクの幽霊としてその妹が登場した。では三度目に登場したヴァルサーも幽霊だろうか。いや、彼にはヴェロニクの妹に姉の死の真相をこの世で語る役目が残されていた。では彼でないとすればもう一人しかいない。つまりあれはヴァルサーがシルヴィの幽霊を目撃する場面だったのだ。シルヴィの最期がすでに「なにをじろじろ見ているの」と、古城を目指す彼女の旅の中ですでに決定づけられていた。

あの旅の中、明らかに重要な人物でない者たちに向かって、背景に向かって自分を見張る不安妄想にかき立てながらシルヴィは夜道を歩いていた。実際には彼女は一人だった。それは多くの観客が知っている。しかし、いやそれゆえに同時にこの夜道を歩くたった一人の女は映画館の客席に座る多くの観客の何百もの目に見張られていた。映画を通じて観客は彼女の妄想そのものを体現する舞台装置に変えられる。同時に観客は映画を通じて、こちら側からあちら側の世界への「入定」を体験させられる。そう、守られた秘密の向こう側へと進む心の準備をさせられるのは決して彼女一人だけではないのだ。

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