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月夜に思い出してみて

最近では夕立のような雨が毎日降るようになり、空気が洗われるせいか夜になると月や星がきれいに見えるようになっている。先週は満月だったため月が大きくあたりを照らしていて、その明るさにちょっとワクワクしてしていた。

ところで、月夜といえば思わず口ずさんでしまうのが、
「つ、つ、月夜だ、みーんな出て来い来い来い♪」
というあの証城寺の狸囃子だ。
「おいらのともだちぁ ぽんぽこぽんの ぽん♪」
というお馴染みの愉快な歌詞が続くのだが、
ちょっとまって、なんでたぬきってポンポコポンなの?!
という疑問が突如沸き上がった。

イヌはわんわん、ネコはニャーニャー、ネズミはチューチュー、キツネもコンコンと、多くの動物は鳴き声で表される。しかし、タヌキだって鳴き声はあるにも関わらず(キューンキューンみたいに鳴く)、なぜか「腹鼓」という動作で表される。この腹鼓、しいて言えばゴリラが胸を叩くドラミングに相当するかと思うがそんな習性はタヌキにはないし、そもそもイヌ科であるタヌキは野生下では腹部を晒すことはまずなく、しかも前足が短いため骨格的にお腹を叩くのは難しいと思われる。にもかかわらずタヌキは、腹つづみという「架空の習性」によって多くの人々に周知されているのだ。

では、いったい誰が最初にタヌキにお腹を叩かしめたのか、ということが問題になる。

上述の「証城寺の狸囃子」は、「赤い靴」や「兎のダンス」の作詞で知られる野口雨情が訪れた千葉の証城寺で聞いた伝承をもとに書いた詞に、「シャボン玉」「てるてる坊主」などの童謡で有名な中山晋平が曲をつけた、当時の童謡界最強タッグによる作品である。つまり、その時点(「証城寺の狸囃子」リリース1925年/大正14年)には、タヌキはお腹を叩くと認知されていたわけだ。

狂言にも『狸腹鼓』という演目があるが、作者は大老 井伊直弼と伝えられ(マジか)、江戸時代ということになる。さらに遡ってWikipediaによると、鎌倉時代の歌人寂蓮(藤原俊成の甥)が、
「人住まで 鐘も音せぬ 古寺に 狸のみこそ 鼓打ちけれ」
と詠んでいるとのこと。つまり、タヌキは千年近く昔からポンポコポンだと認知されていたということである。

そんなわけで、明確な起源はわからなかったが、昔の人たちはタヌキのあのモフモフでまるっこい感じに、小太りな人がまん丸いお腹をポンポコ叩くようなイメージを見出し、そこにタヌキは化けるという伝説が相まって、擬人化に近い形で「タヌキはお腹を叩く」という共通認識が形成されてきたようだ。それだけ、昔の人にとってタヌキは身近で親近感を持てる動物だったということかもしれない。

なお、「タヌキといえば」の信楽焼きのタヌキの起源を確認したところ、”たぬきや総本家 狸庵”が元祖とされ、初代 藤原銕造氏が昭和10年ごろに信楽に移住し作ったものが最初と言われている。なので、証城寺の狸より後だ。

次の十五夜は10/1(木)の中秋の名月になる。
まん丸いお月様を眺めながら、ポンポコポンのタヌキに思いを馳せてみるのもいいかもしれない。
(ちなみにタヌキは生まれてから一度も洗ってないイヌのにおいがする。)

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